【其ノ百九十】発船式に思う事

柳家さん生・・・昭和32年、富山市西町に生まれる。上野鈴本演芸場等、寄席定席に出演のかたわら、都内各所にて勉強会、独演会を精力的に開催、活躍中。

 今年も松川の遊覧船発船式に参加させていただきました。年の初めに能登半島地震が起き、富山も少なからず災害を被りました。市内を流れる松川も、ところどころ被災をしております。運航が危ぶまれる中、運航の運びとなったことは関係者の尽力の賜物と、心よりお祝い申し上げます。市内の中心を船に乗って花や緑をそして空や川の流れを愛でることの豊かさは、普段の暮らしの中のゆとりとなるでしょう。
 「川は人の暮らしと共にあるもの」と当たり前に思っている。太古の昔より、水辺は人の憩いの場であり、暮らしの場でもありました。当たり前の思いが、いつの間にやら排水を流し入れ、川が悲鳴を上げても振り向きもせず、終いには蓋をし、暗渠とし、その上、昭和の東京オリンピックには東京の街の河川は多く高速道路とされました。駐車場や通りを作り、便利さを優先する。そんな暮らしが自分たちの首を絞めていることを後々知ることとなりました。松川も「時の流れ」に流されそうになったこともあった。松川はいつの日か、富山城の周りを遊覧し、環水公園までそして岩瀬浜まで、富山の豊かな流れの中を愛でる。そんな川があってもいいのではと思うのは私だけ?
 いやはや まいどはや

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