鵜坂神社(富山市婦中町)

大伴家持も参拝

 

 五福の交差点から国道359号をつなぐ比較的新しい道沿いにあるのが、こちらの鵜坂神社。入口の案内板によると歴史は古く、第10代崇神天皇の御代(紀元前97年〜紀元前30年頃)、北陸道将軍・大彦命の勧請により創建された。称徳天皇の御代、僧・行基が、勅を奉じて二十四堂伽藍を建立、越の総社として年中72度神事が行われた。歴朝の崇敬も厚く、貞観9年(9世紀後半)には神階従三位に。治承3年(12世紀末)、源義仲の兵火で焼失したが、源頼朝が再建。鵜坂、鵜坂新、有沢、庄高田、下野、久郷、分田、島黒瀬、高田新、高田の12ヶ村を社領とし、神階正一位に。その後、上杉謙信の兵火や神通川の水災などにより往時の盛観を失ったが、往古の神徳の高さから、明治6年社格制により県社に列せられ、大正4年鵜坂地区19社が合祀し現在の鵜坂神社になった。
 ここでは、平安朝頃から尻打祭が行われていた。婦女の貞操を戒めた祭りとして日本五大奇祭の一つに数えられ、全国に知られた。この神事の根因は、増産や縁組、安産の祈りであったと推察される。明治以降は、雌馬によって行われたが、第二次大戦以後途絶えている。
 天平20年、越中国司大伴家持が、鵜坂神社に参拝し、神通川で鵜飼を賞でるなど巡察を行い、歌を詠んでいる。これを称え、歌碑を建立し、また平成10年から「売比川鵜飼祭」が再現されている。

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