白鳥神社(富山市)

白鳥捕獲伝承地の一つ

 

 西に東に転戦した日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、伊吹山で大氷雨を降らす山神との戦いに破れ、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなった。その霊魂は白鳥となって天高く飛び去り、ついに地上には戻らなかったという。その子がのちに仲哀天皇となり、彼は父を慕い、白鳥を集めて飼おうとした。この時、越の国(北陸)から白鳥4羽を献上したそうだ。その捕獲伝承地の一つが越中国婦負郡で、記念に白鳥神社を建てたのだという。白鳥神社は富山市八尾町三田と富山市寺町にあり、祭神は日本武尊。ここでご紹介したのは、寺町の方である。
 廣瀬誠氏によると、寺町白鳥神社の神殿の袖障子に、日本武尊の妃、弟橘姫(オトタチバナ)入水の図が描かれているという。日本武尊が東征して、走水(はしりみず。神奈川県横須賀市)から上総(かずさ。千葉県中部)へ船で海を渡る時、海が激しく荒れ、沈没しそうになった。この時、弟橘姫が身を投じてその難を救ったと伝えられている。その場面が描かれているのだそうだ。
 なお、呉羽山の白鳥城は、この白鳥神社が名前の由来になっている。
 白鳥神社の後方(南側)を流れる古川は、かつての神通川の川筋で、大正末期頃まで暴れ川であったという。 


▲寺町の白鳥神社


▲旧神通川の名残り、古川。佐々成政が入国した天正8年9月に集中豪雨によって井田川が激流となり、現在より西側を流れていた神通川を突っ切ってできた川筋。この時、後に松川となる川筋もできた。
 神通川川筋の変化
 『馳越線100周年記念特集3 遠藤和子さんに聞く 成政と神通川』(グッドラックとやま2003年9月号)
 https://goodlucktoyama.com/wp/wp-content/uploads/2020/05/0309-GL.pdf


▲呉羽山。左の方に、白鳥城がある。

 

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