千歳御門(富山市)

「東大の赤門」と同じ三間薬医門

 城址公園の東側にある千歳御門は、富山藩10代藩主・前田利保が隠居所として造営した千歳御殿(現在の桜木町の場所にあった)の正門で、嘉永2年(1849年)に建築されました。当時は、今の桜木町内にありました。明治になり、赤祖父家に移されたため、昭和20年8月2日未明の富山大空襲を免れました。
 その後、富山市が所有者から寄附を受け、平成18年から20年にかけて城址公園内に移築されました。富山城で唯一現存する千歳御殿創建当初の建造物であり、江戸時代後期の御殿正門の様式や意匠及び技法を知る上で価値が高く、市指定文化財となっています。
 総欅造りの三間薬医門で、屋根は切妻造本瓦葺、桁行6メートル、梁間1.9メートル。同一の建築様式の城門は、「東大の赤門」として知られる旧加賀屋敷御守殿門(国重要文化財)など数少ないそうです。なお、旧加賀屋敷御守殿門は、加賀藩13代藩主・前田斉泰が、文政10年(1827年)に11代将軍徳川家斉の娘・溶姫を正室に迎えた際に建立された御守殿門です。 余談ですが、東大の中には、加賀藩3代藩主・前田利常(富山藩初代藩主・前田利次の父)が築造したという園池があり、加賀藩5代藩主・前田綱紀がさらに補修し、江戸諸侯邸の庭園中第一と称せられたといいます。池は、「育徳園心字池」が正式名称ですが、夏目漱石の小説「三四郎」以来、三四郎池の名で親しまれています。

 


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