常西合口用水プロムナード(富山市) 

洪水との闘いの歴史を感じながら歩いてみよう


 常願寺川は、全国有数の急流河川として、その名は広く知られており、流域一帯では古くから洪水との闘いが繰り返されてきた。明治24(1891)年7月の大洪水では常願寺川の堤防が決壊し、数多くの尊い人命と田畑が失われた。富山県は当時来日していたオランダ人技師、ヨハネス・デ・レーケに改修計画の立案を求め、常願寺川の上下流に分散していた取水口を1カ所にまとめ新たに幹線用水路を開削・導水し、そこから分水する合口用水計画を提案した。
 事業は翌明治25(1892)年に着手され、難工事ではあったが、翌年に完成した。これが現在の常西合口用水である。
 昭和58(1983)年から平成5(1993)年までの11年間にわたり、技術的にも優れた佐々堤などの遺跡の保全に配慮し殿様林や桜並木など、周囲の豊かな自然環境と調和するよう、石積護岸工法を取り入れながら「県営かんがい排水事業」が行なわれた。
 あわせて、周辺の水辺環境についても県単独事業の「やすらぎある農村施設整備事業」によりプロムナード2040m、小公園4カ所、休憩施設、景観保全施設などの整備が行なわれ、平成3(1991)年に完成した。
 令和2(2020)年12月8日には、「第71回国際かんがい排水委員会(ICID)国際執行理事会」において、「常西合口用水」が「世界かんがい施設遺産」として富山県内で初めて登録された。

参考/案内板、他

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