多久比礼志(たくひれし)神社(富山市)

「塩の宮」として知られる郷社

 

 旧大沢野町に「塩」という地名がある。古代、この地の林弥鹿岐(みかき)という人が、塩土(しおつち)ノ翁に教えられて塩泉を発見し、これを用いて塩を焼いたので、「塩」という地名を生じたという。他にも伝説があって、神通峡谷の芦生の南はずれに砂岩の露出した崖があり、「塩壁」と称したという。老翁の教えでこの塩壁の砂を下流の「塩」に運び、この砂を水で洗い、釜で煮つめて塩を得たそう。なお、塩壁は神通第二ダムにより、今は水没しているという。
 塩土ノ翁および翁ゆかりの日子穂々手見(ひこほほでみ)命・豊玉姫命を祭ったのが、今回ご紹介する多久比礼志神社、俗称・塩の宮である。
 塩土ノ翁は海のことは隅から隅まで知り尽くしていたという。日子穂々手見命(山幸彦)が兄から借りた釣り針を紛失して泣いていたとき、翁は命に海神の宮へ行くようにすすめ、その道を教えた。命は海神の宮へ行き、釣り針を取り戻し、海神の娘・豊玉姫を后としてめでたく帰還。
 ところが、命が約束を破って姫の出産の場をのぞき見したため、夫婦の縁は切れ、姫は海坂(うなさか。海路のはるかにある、海神の世界と現実の世界との境目)を閉じて海へ帰ってしまう。 社名タクヒレシのタクはコウゾから製した白い繊維、そのタクで織ったヒレがタクヒレという。ヒレは恋しい人を呼び戻す呪力のあるネッカチーフ。縁を絶って別れたけれど、海坂のかなたから日子穂々手見命を慕い続け、歌を贈ったという豊玉姫の心が、この社名に宿ったそうだ。手洗鉢にも「豊玉の水」と刻まれている。
参考文献/「神通川と呉羽丘陵」(廣瀬誠著・桂書房)

 


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