高岡大仏(高岡市)

「銅器日本一の高岡」の象徴、全工程を高岡の銅器職人が担う


▲町民の町として発展した高岡の誇りを象徴する大仏

 奈良・鎌倉の大仏とともに、日本3大仏の1つに数えられる高岡大仏(県内では、小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏の一つ)。
 日本一の美男と呼ばれる阿弥陀如来坐像で、鋳造から着色までの全工程を高岡の銅器職人が担い、銅器日本一の高岡の象徴的存在となっている。
 承久の乱(1221年)を避けた源義勝が、二上山麓に木造大仏(1丈6尺、約4.8m)を造営したのが造立起源と伝えられる。
 高岡開町により城下に移され、延享2(1745)年に木造大仏(約9.7m)が再建されたが、文政4(1821)年に焼失。その後、天保12(1841)年に木造大仏が再建されたが、これもまた明治33(1900)年の大火で焼失した。
 明治38(1905)年には銅製大仏を建立することを決定。資金難により事業が中断する時期もあったが、高岡銅器職人らの献身的な動きと、荻布宗四郎氏ら市民の浄財により、昭和8(1933)年に現在の大仏(約16m)の開眼供養に至った。
 高岡大仏の特徴である「円光背」には、阿弥陀仏の仏徳を一字で表現する梵字「キリーク」が頂点に配されている。
 また、高岡大仏が鎮座する台座の内部は回廊となっており、壁面には地獄絵などの仏画13作や、1900年の大火で類焼した2代目高岡大仏の焼け残りとされるご尊顔が安置されている。
 すぐ隣に大仏カステラなども販売するコーヒーショップがある。


▲台座下の入口


▲台座内部の回廊

参考/案内板、とやま観光ナビ

 

 

 

 

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