先人たちの高い見識が富山のセーヌ川、松川を救う

中村 孝一

 

松川をコンクリートでフタをして駐車場にする計画があった!

 「見慣れることは恐ろしい!」新富山大学の初代学長、西頭徳三氏が、〝水の都とやま〟推進協議会の発足に際し発した言葉だ。画家の岡本太郎は、「パリをふたつに裂いて中央を東から西へセーヌ川が流れている。パリ発祥の地とも呼ばれるこの川は、パリには不可欠で、この川がなくてはパリの魅力は生きない」と言っている。
 富山の中心を西から東に松川が流れている。富山発祥の地である神通川の流れを今に伝えるこの川は、富山には不可欠で、この川のない富山は考えられない。しかし、価値がわからない者は、恐ろしいことを考えるものだ。
 1975年、松川をコンクリートでフタをして、駐車場にしようとする計画が持ち上がる。パリを訪問したばかりの当時の改井市長が、この計画を知って驚いた。
 「松川は富山のセーヌ川。松川をなくしたら富山でなくなってしまう」。そしてもう一人は、富山の経済界の大御所、佐藤助九郎氏である。当時の首謀者、富山商工会議所の前川元専務が、当時の様子を生々しく語ってくれた。
 「この計画がいまにも実現しそうになっていた矢先、佐藤工業の社長から、呉羽山にある〝助庵〟という『いおり』に呼び出され、『お前たちは、松川の魅力がわからないのか!私がなぜ松川のほとりに本社ビルを建てたのか、そこが富山で一番情緒があり、風情があるからではないか。お前たちは、その宝物である松川を潰してしまうというのか!』と烈火の如く怒られまして」。
 鶴の一声で松川が救われることになったのだ。先人たちの高い見識が、富山の宝、松川を救ったのである。
 1987年、〝東洋のベニス〟をテーマに、松川に遊覧船が浮かんだ時、市民の多くは富山は神通川から生まれた〝水の都〟だったことに気づくのである。
 あれから30年の歳月が流れた。台湾では、「松川の遊覧船に乗ってから死ね!」と言われる程、美しい〝水の都〟のイメージが定着しているそうだ。
 そういえば、ベニスから来た観光客が、松川の遊覧船に乗って、「緑が美しく、自然がいっぱいで、ゴンドラより楽しかった!」と言ってくれた。また、〝世界で最も美しい町〟といわれるベルギーのブルージュに行って来た人が、松川遊覧船に乗ると、「滝廉太郎など富山の歴史や文化を感じることができ、ブルージュにはない風情があり、本当にすばらしいクルーズでした」と。
 「観光とは非日常の世界を求めるため、地元の人はそのよさに気づかない」と言われる。それにしても、「見慣れることは恐ろしい!」ことだ。いつも新鮮な気持ちで、自分の住む町を見つめていたいものだ。あらたな発見があれば、いつも〝青春〟でいられるのだから。

セーヌ川とノートルダム大聖堂

松川と富山市庁舎

 



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