吉田榮一さん(1937-2020) “月世界”から“東洋のベニス”を見守って!

文/中村孝一

 5月7日、弊誌顧問であり、月世界本舗社長の吉田榮一さんが83歳で天国に召された。銘菓「月世界」のようにいつも心に〝夢〟を持っておられ、お話しする時もそれが笑顔に現れ、友情が芽生えていった。
 ある時、次のように言われた。「富山の中心部に観光名所を作れないだろうか。城址公園が本来そうあるべき所なのに、ただの広場ではね。秋にパリに行った時、地下鉄の駅前に大木が生い茂っている公園があって、通勤客が落ち葉を踏みしめて歩いてくる。風情があって、思わず映画『第3の男』のラストシーンを思い浮かべましたよ。都会のど真ん中に、自然を感じられる所を創っているなんて素晴らしいね」
 神通川から誕生し、松川にその面影を残す〝水の都とやま〟。吉田さんに「松川に遊覧船を浮かべ、〝東洋のベニス〟を目指しましょうよ!」と提案すると、「それは素晴らしい。富山の中心部に観光名所が誕生しますね。協力しますよ」と。早速、会社を設立し、監査役に就任いただいた。しかし、桜の時期の松川遊覧船は全国からの観光客で大賑わいだが、桜が散ってしまうと寂しくなってしまう。そんな時にカメラを持って様子を見に来られ、「桜の花びらを糊でつけるかね」とユーモアを言って、私を励まして下さった。
 2008年7月、アメリカのベニスを目指して成功したサンアントニオを、一緒に視察させていただくことができた。帰国後、松川茶屋カフェテラスで座談会を開催した折、吉田さんはその感想を話して下さった。
 「松川と川幅がほぼ同じくらいの河川を魅力的に開発し、世界中の人々が楽しい時を過ごしている。まるで万博でもやっているかのような賑わいだね。松川の場合は、やはり情熱のある中村さんが中心になって、皆さんに働きかけてもらわないとならんのだけど」
 その視察旅行の折、サンアントニオのカサリオ・レストランのカフェテラスで、富山の未来を語り合った時のことが忘れられない。その日は、なんと7月4日。232回目のアメリカ独立記念日だった。このリバーウォークは、独立のシンボルとしてアメリカ人の聖地となっている「アラモの砦」にも近く、特別な賑わいを見せていたが、その様子を見て吉田さんの郷土愛に火がついた。
 「子供が遊ぶような施設もないのに、親子で散歩したり、一緒に食事したり、何か自然にその場の雰囲気に溶け込んでしまうような街。遊覧船に乗った人たちが来るとみんなで手を振ったり、川と遊覧船とお店が一体化している。松川もこんな風になったら素晴らしいね!」と、目を輝かせ、夢を語っておられた吉田さん。もう、あなたに会えないのですね。
 川風に吹かれながら、日が暮れていくのも忘れて未来を語り合ったことが、今でも昨日のように蘇ってくる。吉田さん、あの時の夢が実現するよう、「月世界」から見守っていて下さいね。また会う日まで、グッドラック!


▲サンアントニオ・リバーウォークにて



(北日本新聞、2020年9月15日付)

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