川田文人 さん(1954-2025)松川の魅力アップは、“水の都とやま”への壮大な挑戦!

文/中村孝一

 前北陸経済研究所の理事長で、「〝水の都とやま〟推進協議会」と、「滝廉太郎研究会」の副会長であった川田文人さんが、10月16日、71歳で亡くなった。
 川田さんと初めて会ったのは、2015年1月6日のインタビューの時である。
 「実は北陸銀行ニューヨーク支店に勤務していたのですが、支店は世界貿易センタービルの78階にあり、1993年にその地下駐車場で爆発事件が発生したんです。当時の深澤文敏支店長から、『このままここにいては危険である!』と、私に本社へニューヨーク支店の移転を提案する文書を作成するよう依頼され、その文書により移転が決定したんですよ」と、ホッとした表情に。8年後の2001年、同時多発テロによって世界貿易センタービルが崩壊したが、移転していたおかげで、ニューヨーク支店の全行員がその難を逃れることができた。
 「ちょうどオフィスがあった78階あたりに飛行機が突入しましたので、あのままいたら、みんな即死だったでしょうね」
 8年間のアメリカ生活を終え、富山に戻り、グッドラックのフォーラムに参加することに。
 「〝水の都とやま〟の歴史を生かし、市民が誇れる〝リバーシティー〟に!」のテーマで話し合った時のこと。「緑の季節に初めて松川遊覧船に乗りましたが、あれだけ水面に近いところから見る景色は、まったく違う世界が広がっていて感動しましたね。昔から貴族や殿様が船遊びを楽しんでいた理由がわかる想いでした」と。
 「松川という宝をもっと活かして、地域のシビックプライドを高め、県民市民の自慢の場所にすべき」と強調しておられましたね。
 また、「滝廉太郎研究会」が発足し、「小学校の社会科副読本に、『滝廉太郎記念館』を取り上げていただいたのはありがたいですが、本文の中でも固有名詞を出して、ぜひ富山と滝廉太郎との関わりを紹介してほしいですね」と。また、「富山市郷土博物館の中に、滝廉太郎を顕彰する一室を作っていただけると良いのですが」と。川田様、あなたはグッドラックのパネリストとして参加されると、いつも「富山の歴史・文化を後世に伝えていく」ことの大切さを強調されていましたね。
 そして、「松川の魅力アップは、〝水の都とやま〟のシンボルを作るという、100年に一度あるかないかの壮大なプロジェクト。われわれ〝市民の意志が今、試されている〟、このことを自覚できるかにかかっている」とおっしゃっておられましたね。
 私は〝富山県民が「誇りを持てる街」をつくることの大切さ〟を訴えておられた川田文人さんが忘られない。

 

 

▼滝廉太郎研究会設立発起人会にて

 

おすすめ