埴生護国八幡宮(小矢部市)

家持、義仲、利長が祈願





 奈良時代養老年間(717〜723)に、宇佐(うさ)八幡宮の御分霊を勧請(お迎え)したのに始まった埴生護国八幡宮。
 天平時代には越中の国守・大伴家持が国家安寧を祈願したと伝えられる。
 また、木曽義仲が平安時代の末、寿永2年(1183年)5月、埴生に陣をとり、埴生八幡宮に祈願し、倶利伽藍山で平維盛(これもり)の大軍を破った。(その時の祈願書は宝物殿に保管されている。)
 以来、蓮沼城主遊佐(ゆさ)氏、武田信玄、佐々成政など戦国武将が篤い信仰を寄せた。103段の階段は遊佐義親の寄進による。
 江戸時代になると、加賀藩より現在の社殿が寄進された。
 「護国」とは江戸時代初めの慶長年間にこの地方に凶作が続き、庶民の生活が苦しかったので、前田利長卿が豊作を祈願したところ霊験が著しく、この号を奉った。
 大正13年、社殿全部が「国宝」となり、戦後、「重要文化財」となっている。
 境内は約2万坪。昭和58年には、源平倶利伽藍合戦800年祭を記念して、日本一の源義仲像が建立された。
 境内には、義仲が祈願の折、白鳩に導かれて発見し、源氏勢がのどの渇きを癒した「鳩清水の滝」を水源とする清水がある。(「富山の名水」に指定)
 小矢部市桜町〜津幡町竹橋の道は平成7年に「歴史国道」として認定され整備されている。

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