馬場記念公園

旧制富山高等学校跡、小泉八雲図書館(ヘルン文庫)跡

 今年5月号のこのコーナーでは、『旧制富山高校(富山大学の前身)創設に力を尽くした 馬場はる旧制富山高校(富山大学の前身)創設に力を尽くした 馬場はる』と題して、馬場はる氏について詳しく紹介した。今回は、かつて旧制富山高校があった馬場記念公園について詳しく見ていきたい。公園に入ると、次のような碑文がある。

富山高等学校は富山市東岩瀬町、馬場正治氏の母堂はる刀自の篤志によつて創立せられ公立7年制高等学校として大正13年4月をもって開校した。のち官立に移管、昭和25年3月学制改革によりその任を終えたが、昭和34年富山大学の創設にあたり同大学文理学部として新たな発足をなすに至った。この間ここに学ぶもの3700余みずから剛健進取の校風を興し世に出て、国家社会の発展に力を尽した。ここに母校跡に碑を建てて記念とする。
       昭和43年10月20日
       富山高等学校同窓会

 園内には、校章のついた碑がある他、馬場はる氏、初代校長の南日恒太郎氏の胸像が立っている。梅林もあるが、これは創立60周年を記念し、昭和58年に同窓会が植樹したもので、南日校長への謝恩の情を添えて「南日梅林」と命名されている。
 なお、旧制富山高校構内には、怪談「耳なし芳一」や「雪女」などの作品で知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の愛蔵書等が保管された「小泉八雲図書館(『ヘルン文庫』と呼ばれた)」があった※。これは、八雲の教え子であった田部隆次が、八雲の死後、親族が愛蔵書を寄付したいという話があることを実兄の南日に話し、南日は「これを譲り受けることで日本における文化の中心にし、又、全国からいい先生に来てもらえる」と馬場はるに相談。はるはその熱意に応え、購入費を追加で寄付したことによる。平成29年3月に「富山市立北部児童館」が建設されたが、当時の小泉八雲図書館の特徴であった白色塗壁と黒の切妻屋根を参考にした外観となった。
 館内には、旧制富山高校誕生からヘルン文庫創設に至る歴史や、小泉八雲の足跡についての説明パネル、関連書籍が揃えられている。パネルによると、ハーンはギリシャで生まれ、その後、アイルランド、イギリス、アメリカ、マルティニークを経て、天文学者・日本研究者であるパーシヴァル・ローエルの『極東の魂』を読んで感動し、日本へ。横浜、松江、熊本、神戸を経て日本に帰化。東京帝国大学、早稲田大学の講師を務めたという。

 

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