布市藩陣屋跡推定地(富山市)

江戸時代初期頃に8年間存在した藩

 富山県内で、藩と言えば、富山藩や加賀藩だが、富山市布市一帯に、8年間だけ、1万石の布市藩が存在していたという。これは、慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦の時、前田利長を東軍へ勧誘する使者を務めた功により、徳川家康が土方雄久(ひじかた・かつひさ)に与えたもの。藩領は、富山市布市を北端として、富山市東猪谷まで続いていたという。富山市布市の興国寺前の「殿方屋敷」、または富山市陀羅尼寺(現・富山市上栄)の「矢竹藪」が陣屋跡という。土方家は、興国寺に所領を寄進したと伝えられる。
 慶長13(1608)年、雄久の従兄弟である前田利長が、能登国の散在所領との交換を持ちかけ、幕府の許しを得て、能登に移ったため、布市藩は消滅した。
 布市は、信濃道と飛騨道が交差する交通の要所で中世太田保の郊外に位置する市があったことに由来し、もともと野々市と書いたという。
 なお、富山藩は、この時から約30年後の寛永16(1639)年、加賀藩2代藩主・前田利常(利長の異母弟)が隠居する時に、次男・利次に10万石を分封して成立した。
参考/Wikipedia


▲興国寺。


▲興国寺近くの田んぼ。「殿方屋敷」の位置はわからなかった。


▲村社。


▲村社横にあった竹藪。これが「矢竹藪」かどうかは不明。


▲龍宝寺。この近くにも竹藪があった。主要道から離れた場所だが、雰囲気のある地域という印象を持った。


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