富山城と金沢城 広さを比べると…

 1997年(平成9年)6月4日発行の博物館だより(富山市郷土博物館)によると、江戸時代の富山城は、初代藩主前田利次によって寛文元年(1661年)以降整備され、明治時代までその城域はほとんど変化しませんでした。
 全体の大きさは堀も含めると、
 北辺 約509m
 東辺 約462m
 南辺 約593m
 西辺 約309m
 台形の面積の公式で計算すると、
 (309+462)×593÷2で、約22万8,601平方メートルとなります。
 ちなみに、現在の城址公園は、本丸と西の丸の部分のみで、面積は江戸時代の富山城と比べると、6分の1に縮小しています。
 これを本家・加賀藩の金沢城と比較してみましょう。
 石川県庁のホームページによると、広さは約28・5ヘクタール、つまり、28万5,000平方メートルだったようです。
 つまり、富山城は金沢城の80・2%の広さがあったわけで、広さの面だけから言えば、10万石の分家の城としてはかなり立派なお城だったということが言えると思います。
 ちなみに、富山城の南側の外堀は現在の総曲輪通りの位置にあり、「総曲輪」という町名は、富山城の外堀が「曲輪」と呼ばれていたことに由来しているそうです。
 現在、6分の5が市街化してしまった訳ですが、かつてのお堀のあった場所や、様々な施設があった場所に、また城下町の跡にも、案内板等を立てて、江戸時代の富山城と城下町に思いを馳せることができたら、面白いと思います。


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