富山県最初の音楽教師、野中武雄氏

 2014年12月号で、『同時期に富山で音楽を学んだ滝廉太郎と福井直秋(上市町出身・武蔵野音楽大学創設者)』という記事を掲載した。その中で、滝廉太郎が富山の師範学校付属小学校に転入した年(明治19年)の11月に、富山県初の音楽会が師範学校講堂で開かれ、附属小児童も(つまり、廉太郎少年も)参加したことを紹介したが、この音楽会の実現に、富山県最初の西洋音楽の教師・野中武雄氏が尽力したという。
 野中氏は、嘉永元年(1848年)5月6日、越中国・中野町生まれ。明治3年(1870年)、平田延胤の門に入り国学を学び、神道を極めようと石川県神道中教院と愛知県神道中教院に学んだ。さらに雅楽師山井影順と林広継に雅楽を学び、石川県気多神社、愛知県熱田神宮で神職を務めた後、現在の富山県が誕生する前の明治15年(1882年)6月、石川県
富山女子師範学校および男子師範学校の教官となった。野中は音楽取調掛(東京音楽学校〔現・東京芸大〕の前身)に伝習生として学び、明治18年(1885年)年7月20日、「修業証付伝習生」として卒業している。また式部職、雅楽稽古所等でも学び、音楽家として知られていた、という。

参考文献/『明治期の富山における西洋音楽の受容 : 文献調査による唱歌教育を中心とした歴史の再構築』、谷口昭弘・森田信一、富山大学人間発達科学部紀要 5巻1号 Page 101-111 https://toyama.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=764&item_no=1&page_id=32&block_id=36


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