明治28年創業の老舗そば処・大黒や 創業者の歩みを振り返り、小説に
大黒や 4代目
吉田友裕 さん
「大黒や」社長の吉田友裕さんが、創業期の歴史を調べ、この程『小説 吉田長右衛門物語』にまとめた。「さらに情報を集め、手直しをした上で、2026年の創業130年には記念誌としてまとめることができたら嬉しい」と語る。
初代・吉田長右衛門は江戸末期に石川県松任の農家の五男として生まれ、明治の中頃に一旗揚げようと富山へ。幾度も職業を変える中、焼き芋屋を総曲輪通りで始めて大繁盛し、その後そば屋を始めて、市内でも1、2位を争う評判店となった。長右衛門は当時珍しかったアイスクリームの作り方を、横浜まで出かけて学び取るなど、とても研究熱心だったという。
明治28年、大雨による大氾濫で総曲輪も被害に遭い、その時に店の軒下に流れ着いたのが大黒様の鋳型。以後、大黒様にまつわる因縁話が次々と起こり、店名を「松任屋」から「大黒屋」に改名し、この年を創業の年とした。
商売一筋だった長右衛門は、45歳の時に結婚。妻のちゑは、竹久夢二の妻・岸たまきの実家で奉公していたことから、夢二との関わりについても綴られる。富山で画展を開く際、たまきに頼まれて長右衛門も支援し、夢二から感謝文が届いたこともあったという。
吉田さんは、「裸一貫で商売を始めた長右衛門の生き様をたどるこの〝ファミリーヒストリー〟を、次世代へ贈るメッセージにしたい」と語っている。
▲明治28年の神通川の氾濫で、店の軒下に流れ着いた大黒様の鋳型(現物)
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▲明治33年の富山市中心部と総曲輪通り(黒く塗った部分) 「富山案内記」より 富山県立図書館所蔵