神通川の御猟場〔ごりょうば〕

 神通川では、鮎・鮭・鱒が多く捕れたため、戦前には皇室の「御猟場」(皇室専用の狩猟場)にも指定されたという話をお聞きになった方も多いだろう。今回は、このことについて深堀りしてみよう。
 『神通川と呉羽丘陵』(廣瀬誠著、桂書房)によると、川で「御猟場」の指定を受けたのは、長良川と神通川の2カ所だけで、長良川は鮎と鯉、神通川は鮎・鮭・鱒の3種に及んだ。神通川での指定箇所は、第一区が笹津橋より上流200間(約364m)と下流600間(約1.1㎞)、第二区が上新川郡新保村地先と婦負郡熊野村土淵用門より上流700間(約1.3㎞)、第三区が有沢橋より下流400間(約727m)であった。
 御猟場の指定を受けたのは、1912(明治45)年3月で、鮭・鱒は2尾ずつ、鮎は60尾から100尾ぐらいであったという。45年の夏、指定後に初めて捕れた初鮎は、7月30日、明治天皇が崩御されたため、ことのほか川魚を賞美した明治天皇の御霊前にお供えされたという。
 御猟場の指定は、戦後の昭和23年に解除されたが、富山県は有沢橋下流の第三区を引き続き魚類保護蕃殖(繁殖)のための禁漁区とした、とのこと。
 『神通川誌』(重杉〔じゅうすぎ〕俊雄著、富山漁業協同組合、昭和30年2月発行)によると、明治11年に明治天皇の北陸御巡行の折に船橋を通過された時、鮎漁をご覧になられたという。
 また、明治42年、大正天皇が東宮(皇太子)の時、同じく北陸地方を行啓され、漁業者42人が7隻の舟で鮎漁を行なうのをご覧になられた。こうしたことから、御猟場が指定されたという。
 当初は、宮内省の式部主猟官が直接来県して御猟を行なったので、相当物々しかったそうだ。大正11年には御猟場区域の管理が県に移され、県は地元漁業組合に漁猟を行なわせた。
 なお、監守も任命されており、第一区は武田竹次郎氏(当時の細入村)、第二区は高見政次郎氏・高見庄作氏(ともに、当時の大久保町)、第三区は日南田宇八郎氏・橘文蔵氏・尾山三郎氏(ともに、富山市)であった。 


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