とやまを“水の理想都市”に!
「川と街づくり国際フォーラム」開催15周年記念グッドラックとやま
2018 街づくりキャンペーン
◆「グッドラックとやま」1988年7月号掲載座談会より再編集
昭和63(1988)年、建設省(現・国土交通省緒)から「アクアトピア」の指定を受けた富山市。この構想は、下水道整備により、水質汚濁で姿を消した水生生物を蘇らせ、街の中で子どもたちが水遊びのできる水辺を復活させることなどが目標とされた。当時、松川では遊覧船が運航を開始したばかり。昭和から平成へと時代が移り変わる中、市民の関心が、ようやく水辺へと向き始めたのだった。
――川は、そこに住む人の
心を映し出す。
司会 先日、富山市がアクアトピアに指定されました。今日は、「富山を水の理想都市に」というテーマで、ご意見をいただければと思います。
辻 アクアトピアの指定については、建設省が昭和59(1984)年度から提示してきました。昭和63(1988)年度に富山市が指定された経緯について、簡単に説明します。「カムバック・アクアトピア構想」で松川、いたち川、富岩運河の3つの河川を挙げました。公共下水道計画の中で、この3つの河川流域は昭和70(1995)年度までに整備を完成するという認可をいただいており、下水道の整備を中心に住民運動を含め、保全を図る都市のイメージを提言させていただこうということで、今回富山市が指定されたのです。
司会 建設省の考える「アクアトピア」とは、どのようなものでしょうか?
辻 現状では、河川の汚濁が進んでいます。昔のように、蛍や鯉が住めるような水質改善がまず目的ですね。今回、アクアトピアに指定されたのは、堀の水質改善と環境保全を含めて、〝コイのいる町、蔵の町〟として栃木市。〝山高く、水清く、風香る〟をテーマに松本市。そして、富山市は「蛍川」をテーマに「ふるさとに豊かな水辺をつくる、親水性に富んだ環境づくりを」ということです。
【アクアトピアとは】
住民と清らかな水との結びつきを深めることを目標とした都市づくり運動を「カムバック・アクアトピア構想」と名付け、この構想に基づき下水道事業を実施する都市をいう。アクアトピア(Aqua+Utopia)」とは、親水都市のことである。
『富山県の下水道』
(発行/富山県土木部都市計画課 平成25年3月)
治水優先から、
潤いある水辺の整備へ
新田 富山は非常に水の豊富なところですから、その水を最大限利用した楽しい街づくりの演出がほしいところですね。
赤羽 富山に初めて来た時、美しい松川に感動しました。人口30万人を越える街の中の川なのに、とてもきれいですね。今までは、神通川も常願寺川も、治水のための堤防、川=巨大な水路ということに主眼がおかれてきましたが、水質や水辺の環境に目がいくのは、画期的な方向転換だと思います。
司会 今までにはなかったですね。
辻 使用するだけ、流すだけから楽しむものへの転換が図られていますね。
小倉 建設省の施策としましては、事業は治水優先で行っていきますが、施設には親水機能も持たせ、桜堤などの水辺環境づくりを進めていきたいですね。神通川緑地公園の護岸工事も、白いコンクリートではなく色彩のあるものへ変えたり、あるいは階段を作ったりと考えています。
長井 戦災復興地域における下水道完備の成果は大変なもので、いたち川の調査をした時には、すでに飲料用としても耐えられる状態にまでなっていました。
司会 県の都市計画課として、松川、いたち川をどうお考えでしょうか。
川への関心を高める
本田 松川、いたち川以外にも、富山には川と名のつかないような小水路が多く残っていますね。これは、農業用水路の延長とか、排水路の延長、あるいは冬場の融雪溝などで、割と水量も豊富できれいですね。全国的には高度経済成長期、川に蓋をして、道路にしてしまったところが多いですが、力を入れていくとなると、やはり松川沿いでしょうね。ここも年々、きれいになってきているように思います。
司会 今年の4月1日から遊覧船を運航しましたが、運航して10日ほどして、ある新聞に松川から鯉がいなくなったと書かれましてね。驚いて、漁師さんや長井さんに相談すると、「もっと水が温んでくれば大丈夫です」と言われ、その通りでした。
長井 そうですね。
司会 今まで無関心だった松川に、市民の目が向くようになった証ですね。
辻 私も二度乗船させていただきましたが、大変素晴らしかったです。松川の鯉の話は有名になりましたね。かえって、関心が広がったのではないですか。
新田 全国各地で、昔から川へ物を捨てる習慣があり、川は大変汚れていました。それが、市などの努力でここまでになったのです。
辻 富山は川が多いから、どこでも放流できる。だから無理に側溝を作ることはない、というような考えがあって、下水道の整備が遅れていたんですね。
新田 上水道が遅れていたのも、水が豊富だったからなんですね。
赤羽 使いたいだけ使って、捨てたいだけ捨てて、それでもまだきれいというのはすごいですね。
新田 富山は水に苦しめられてきた街だから、水に対する恐れが大きい。しかし、これからは水に親しむという気持ちが大切ですね。
小倉 富山市は常願寺川の扇状地からなっています。常願寺川の水系から、水を取り入れているわけですから、上流に住む人々にも自覚してもらう必要がありますね。
赤羽 水の美しさを保つには、基本的には下水道整備が鍵です。県全体で、使った水は処理して川へ返すという、もっと強い理念が必要です。周辺部も含めて、富山で流れる水をどう処理するかを考えていくことが大切です。
水辺の魅力を高め、
潤いある街づくりを
司会 市民に「どんな街がいいか」というアンケートをとると、「潤いのある街」という答えが返ってきます。潤いのある街づくりに、水は欠かせないと思うのですが、それをどう生かしていくかですね。
長井 街の中だけでなく、全体的な計画を立てて継続的に、物真似でなくて、富山らしさを大切にしてもらいたいですね。例えば、「蛍川」ということですが、今の松川、いたち川に蛍を放すのは難しい。鯉と蛍は共存しない関係ですから。川の両サイドに小川を流し、蛍やメダカを放すなど工夫をし、市民全体で楽しめるものにできるといいですね。
辻 子どもが足を入れて、ジャブジャブと遊べる、水と対話できる場づくりが、まず一つの課題です。
本田 春先に、子どもが松川で泳いでいました。子どもが首まで浸かっても大丈夫なくらいにまで浄化することは可能だと思います。
辻 それができれば、水の理想郷になるかもしれませんね。
司会 先日、九州の柳川から来て松川遊覧船に乗った人から、柳川よりいいと言われたんです。中心部のビルの谷間にありながら、自然がいっぱいで素晴らしいと。
赤羽 市民が水辺から離れると、川は汚れて死にます。遊覧船で、街の真ん中を流れる川に目を向けるのはいいことですよ。
辻 桜のイメージが強いですが、緑もいいですね。もっと四季折々の花を植えて、花を求めて観光客が来るようになるといいですね。
長井 桜の後のツツジも、大変美しいですね。その後にアヤメ、秋には菊などを並べてもいいと思います。
新田 アクアトピアの指定を受けたことを契機に、これからの進展に期待したいですね。これだけ地下水の豊富な土地柄だから、もっと噴水があると、〝水の都〟の雰囲気が出ると思いますが。
長井 富山駅に誘因する装置として、噴水や小川が欲しいですね。
赤羽 融雪装置が発達しているのだから、これを利用したらいいと思いますよ。
富山と水の関わりを
最大限に生かす
司会 それでは今後、〝水の都とやま〟創造のためには、どのような意識や整備が必要になってくるのか、〝理想都市〟の姿を伺いたいと思います。
辻 四季を通して、水に対応できる都市づくりですね。下水の処理水を消雪に利用していますが、水をもっと浄化し、子どもたちが泳げる水辺を作っていきたい。ウォーター・スクエア・プランとして、緑の散歩道の設備を、下水の浄化の中で建設していきたいと思います。
赤羽 川を汚してしまい、後悔している都市が多いですね。その二の舞だけは踏んでほしくない。水に対する姿勢の中では住民の生き方、文化そのものが問われてくるでしょう。行政と市民の両方の意識改革が必要ですね。
新田 富山市は、アクアトピアに指定されうるだけの条件を備えている。今後はその条件を生かして、いかにアクアトピアにふさわしいものを作っていくかですね。経済界へも呼びかけていただければ、協力はできると思います。皆で力を合わせて、アクアトピアにふさわしい都市にしていきましょう。
長井 飛行機で富山に来ると、富山湾、山、川が大きな景観です。常願寺川と神通川を含めた形で、整備し、さらに、水を中心にして、いろんな生き物が集まる場を考えていく必要がありますね。
小倉 噴水はもちろんですが、川の中に少し段差を設けて、広い滝のような格好にする。酸素に触れることで、水は浄化されますからね。史跡も含めたスポット公園や親水機能を持たせた護岸工事など、親しみのある川を目指したいですね。それから、地域住民による環境改善、住民自ら守るという意識が必要だと思います。
本田 今日のお話の中で、富山の地域社会の特色に水が欠かせないということがよくわかりました。以後、公園づくり、道路づくりの中で水のモチーフを増やし、市民が水に親しめる、〝花と緑と水の街〟にしていきたいと思います。
司会 富山を「水の理想都市」にということで、たくさんのご意見をいただきましたが、「水の理想都市」が実現されれば地方の時代の先駆けとなることでしょう。大都市にない魅力を持った、魅力ある富山市として、県外客にも誇れる街を目指していきたいものです。
私たちもその一端を担えればと思いますので、皆様のご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。
▲遊覧船から松川を泳ぐ鯉を眺め、ウグイなどにエサをやり、ゆったりとしたひとときを過ごす観光客。
松川浄化の歴史
1955年(昭和30年)〜
急速な都市化により。ゴミやヘドロがたまる。
1969年(昭和44年)
汚濁調査で「魚も生息しない川」と指摘される。
「神通川をきれいにする協議会」が、鯉の稚魚の放流や環境浄化のキャンペーンを始めるが、水質の改善が見られず。
1975年(昭和50年)
松川にコンクリートで蓋をし、駐車場を作る計画が浮上。
1984年(昭和59年)
「松川浄化用水導入施設」が完成。
1985年(昭和60年)
「松川浄化用水導入施設」の土川から松川への導水を開始。
1987年(昭和62年)
松川遊覧船の試乗会を開催。
1988年(昭和63年)
富山市(松川、いたち川、富岩運河)がアクアトピアに指定される。松川遊覧船運航開始。
1991年(平成3年)
富山県が「とやま21世紀水ビジョン」策定。
1993年(平成5年)
夏になると松川遊覧船が浅瀬に乗り上げることが頻発。県に松川の浚渫を陳情するが認められず、10月、松川浚渫アクションプラン始動。松川遊覧船船頭が、笹舟で毎日浚渫を行う。
1995年(平成7年)
県がブルドーザーで、松川の浚渫作業を開始。
2003年(平成15年)
神通川直線化100年記念「川と街づくり国際フォーラム」を開催(富山国際会議場、松川)。
2017年(平成29年)
「水の都とやま推進協議会」が発足。
2018年(平成30年)
松川雨水貯留管施設が完成。