[2020 Special Interview ]コンパクトなまちづくりの集大成 路面電車南北接続で新たなステージへ! 富山市長/森 雅志さん

富山市長/森 雅志さん
聞き手/中村 孝一 (月刊グッドラックとやま発行人)

きたる3月21日(土)、ついに富山駅の路面電車南北接続事業が完成する。明治41年の富山駅開業以来、富山市の都市計画の大きな課題となっていた南北市街地の分断が解消されることで、富山市は歴史的な大きな一歩を踏み出すことになる。就任以来、公共交通を軸としたコンパクトなまちづくりを進めてきた森市長に、これまでの経緯と展望を伺った。

 

神通川の馳越工事から始まった都市計画

中村 いよいよ富山駅の路面電車南北接続が実現しますね。

 この南北接続は、歴史的にもとても大きな意味があります。富山市の都市計画の歴史は神通川の馳越工事から始まっていますが、その改修工事が終わり、富山駅が現在の場所に完成したのは明治41(1903)年。この工事でできた120ヘクタールの廃川地が富山市の南北を分断し、さらに北陸線が延伸したことで、廃川地と北陸線の2つが分断の要素となったんです。
 廃川地は昭和初期に富岩運河を掘った土で埋めたてて、県庁や電気ビルなどを建てていきました。残ったままの北陸線については、富山市では〝開かずの踏切〟をなくすために、アンダーパス(くぐり抜け式通路)で対応してきましたが、これが裏目に出たんですね。当時の連続立体交差事業は、この〝開かずの踏切〟でないと認められなかったんですよ。

中村 それで当時、県もできないと言っていたんですね。

 それが、平成13(2001)年に国の制度が変わって、〝開かずの踏切〟がなくてもできるようになったんです。私が市長になったのは平成14(2002)年1月で、最初に国交省都市局の方と話し合ったのがこの点でした。
 結果、国交省から助役を受け入れて、技術的な助言をもらうということで、この連続立体交差事業が認められ、この3月、ついに100年の夢だった南北接続が実現するわけです。

中村 これは、まさに100年の大計の完成ですね。

 


▲左/神通川の馳越工事前は田刈屋に仮駅があった(明治36年)。 右/現在の神通川の流れと富山駅。

 

住みやすい街に人が集まる

 あっという間に3月21日になると思いますよ。運賃の200円が10月から210円になりましたけど、ライトレールが210円均一で、南の地鉄の市内電車が210円均一。この210円と210円がつながっても、210円なんです。21日は市で貸し切って、終日路面電車を無料にしますから、おそらく大変なことになると思います。

中村 その日は南北の市民の大移動が起きそうですね。

 富山駅で乗り換えずに南北へ移動できるようになると、中学生が高校を選ぶ際の選択肢にも影響します。これが非常にシンボリックなことで、同じように市民の生活も変化してくると思うんです。

中村 これまでライトレールを利用していた市民が、西町など中心部へ出かけやすくなりますよね。

 

全国初の上下分離方式を路面電車で導入

 富士フイルムの子会社である富士フイルム富山化学が、蓮町駅のそばに新工場を竣工されたんですが、富山で工場を造る大きな魅力の一つがこの南北接続だと、社長が言っておられました。
 工場の近くに住んでいなくても通勤が楽であれば、社員も家族も住みやすい。やはり家族で来てくれる街を作るというのが大きな目標でしたので、その面でも大きな意味を持ってるんです。このポイントは、平成19(2008)年に「地域公共交通活性化法」ができ、軌道であっても上下分離ができるようになったことです。

中村 地方の公共交通は民間だけでは採算が合わないので、県や市などの公共団体と連携して事業を行うということですね。

 はい。例えば今の駅の中にできた施設も、今新しく線路を延伸するのも、すべて市役所が保有するんです。だから、金利負担も減価償却も固定資産税もない。それを民間が行政から借りて運行するから、黒字でやれるわけです。その利益で市に賃料を払ってもらい、市がメンテナンスを行う。

中村 なるほど。

 この上下分離が平成19年の法律によってできるようになって、全国の軌道の上下分離第一号が富山市の環状線なんです。そういう意味では、国の制度を変えてもらって、先進的にやって来たということが日本全体にいい影響を与えていると思います。まさに官民連携の典型ですね。
 これで市民生活の質が大きく向上する。それを民間だけでやろうとすると、減価償却と固定資産税が重いんですよ。だから新たな投資をしない。なるべく小さく縮こまっていく。不採算なところはやめていく。それが全国で起きている地方の交通の衰退ですから、それを上下分離でやって来たところに意味があると思っています。

中村 そこに市長の先見性があるわけですね。

 これからJR西日本が駅前で大きなビルをつくりますが、そこには商業施設も入るわけですし、人の移動も変わってくると思いますよ。郊外に大きな駐車場がある巨大ショッピングセンターの時代はアメリカでは完全に終わってますからね。高齢者だけで暮らしている人が車でショッピングセンターへ行くと、駐車場からまで歩くのが大変なんです。

中村 確かにそうですよね。

 ですから、県議会議員の皆さんには、もう県内に大型ショッピングセンターはいらないという条例を作るべきだと提案しています。イオンも倍増したし、ファボーレも増築してしまった。小矢部にもアウトレットがある。これ以上、郊外の大型店は必要ないでしょう。

中村 その通りですね。これは重要な提案ですね。

 

呉羽地区に浮上したアウトレット構想を辞退

 これはあまり口外していないんですが、実は平成21(2009)年9月に呉羽南部企業団地にアウトレットを作らないかと、三井不動産から提案があったんです。私は3カ月悩みましたが、断ったんです。担当者が、「断るなんて信じられない」と言いましたけどね。
 でも、呉羽にこんな大きなものを作ってしまったら、中心商店街はますますひどくなる。それで断ったら、6年後の平成27(2015)年に、なんと小矢部に作ったんですよ。

中村
 そうだったんですか。それでさえ県下中に影響が出ていますから、もし呉羽にできていたら、中心部は壊滅状態でしたね。

 もちろん雇用も非常に多く生まれますが、ほとんど非正規ですよね。それよりも、正規の社員が家族で来てくれるような企業を呼びたい。私が言っていることは、県議の時から一貫しています。

中村
 10年前にそんな重大な決断をしておられたんですね。

 


▲呉羽地区にアウトレットモール造成の打診があった折、三井不動産から提示された企画書を指し示す森市長。

 

誇りを持てる街へと富山市が変わった

 おかげさまで富山市は、県外との関係において7年連続で大きな転入超過になっていますし、税収は過去最高です。市内の企業の投資意欲も非常に旺盛ですし、住宅の新増築も多い。そういう意欲をみんなが持ってきてくれているというのは、街が変わってきたからだと思います。
 この街に住んでいて誇りを感じる、この街が好きだ、家族でこれからもこの街で暮らそうという、「シビックプライド」が上がってきたと言えるでしょうね。

中村 市民が自分の街に誇りを持つということは、とても大事なことですよね。

 実は私が市長になった年に、北海道大学のある先生からお怒りのメールが来たんです。学会で富山に行って、アフターコンベンションでタクシーの運転手にどこか美味しい店へ連れて行ってくれと言ったら、それは新湊へ行かないとないと言われたと。
 当時は「なーん、富山にちゃろくなもんないちゃ」と言うのが美学みたいになっていたんです。でも今では、「時間はどれだけありますか?○○はどうですか?」という風に変わってきている。やはり、これだけ市民の意識が変わってきているんですよ。

 

大きな区切りで次世代へバトンを

中村 そんな中、今期限りで勇退されることを早々と表明されましたね。

 最後の選挙をした時から、今期でやめると言ってたんですよ。2020年3月に、南北分断の解消という、100年の夢が実現するということがわかっていましたから。私としてはいい到達点で一区切り着け、後に続く人にいろいろ考えてほしいと思っています。

中村 そうでしたか。これまで5回、インタビューさせていただいていますが、一貫して南北接続のことを言っておられましたね。

 富山駅は新幹線で降りて、エスカレーターで降りたら、あとは全部地表レベルでタクシーにも市電にも乗り換えることができる。垂直移動がないんです。
 最初からそういうコンセプトなんですが、駅北も同じように地表レベルで乗り換えできる。駅の中で路面電車に乗り換えるというのは、全国的にも珍しいんです。以前は、雪が降りしきる中、マリエの前の停留場で市電を待っていましたが、今は駅の中で乗り換えできますからね。

 

国との連携で最先端の事業に取り組む

中村 本当に20年ほど前は、想像もできませんでした。1年半ほど前に完成した「松川雨水貯留施設」も、上下水道局が絶対無理だと言われる中、実現させましたね。

 あれは非常にタイミングが良かった。国の交付金が半分ほど入っていますので、最近の長野の千曲川の台風被害みたいなことが起きてしまうと、この予算はつかなかったと思います。

中村 絶えず、国の情報をキャッチしておられるわけですね。

 はいそうです、そして何か制度ができたらぱっと手を挙げる。
先ほども申し上げた通り、富山駅の南北接続に向けて、富山の歴史では初の国交省からの助役、現在は副市長ですが、を受け入れて、技術的な助言をもらいながら進めていますので、国交省都市局とは非常にいい関係なんですよ。
 富山市は平成30年度いっぱいで、全国で初めて「センサーネットワーク」が完成したんですが、半分は国費です。それを民間企業が23の事業に使っています

中村 この南北接続事業が、富山市の様々な事業につながり、それが街の誇り「シビックプライド」にもつながっているんですね。

 3月21日は、市電に乗ったことがない人にもぜひ乗っていただいて、電車で駅の中を突き抜けるということを体験してもらいたいですね。いかに便利になるかということがわかっていただけると思います。

中村 この日は富山市の歴史の上でも、大きな意味を持つ日になりますね。市民がさらに誇りを持てる街を築くため、お互いにベストを尽くしていきましょう。

 


▼富山の都市計画は、神通川の馳越工事から始まっている。現在は松川を運航する松川遊覧船が、神通川を帆船が行き交っていた歴史を今に伝えているが、路面電車の南北接続で富山市は歴史的な一歩を踏み出す。

 

※1 上下分離方式…公設民営の考え方に基き、行政(富山市)が「軌道整備事業者」として軌道整備及び車両の購入を行い、民間(富山地方鉄道)が「軌道運送事業者」として車両の運行を行うもの。
※2 松川雨水貯留施設…「松川の水質保全」と「浸水被害の軽減」を目的に、平成29(2018)年5月に完成した巨大トンネル。地下11メートルにあって、大雨の時に雨水を一時的にためることができる。
※3 センサーネットワーク…市内全域に展開した無線通信ネットワーク網と、これを経由してIoTセンサーからの収集データを管理するシステムで構成された情報基盤。これにより集約したデータを分析・活用し、新たなサービスの提供や行政事務の効率化、IoT技術を活用した新産業の育成などを目的とする。

 

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