富山城址公園を“東洋のスイス・富山”の顔に!

 「グッドラックとやま」では1984(昭和59)年7月より、観光関係の企業の代表者の皆様方と〝富山の観光を考える会"を結成し、行政担当者や市民も交え、魅力ある富山づくりについて討論を重ねてきた。その中で、特に大きな課題となっていたのが、中心部の富山城址公園のあり方だった。1987年に松川遊覧船が運航を開始したのを皮切りに、徐々に整備が進められ、2015(平成27)年には日本庭園が完成。2018(平成30)年には「まちなか観光案内所」がオープンするなど、大きく様変わりした現在の富山城址公園だが、今から30数年前の座談会では、次のように未来像が語られていた。

 


◇座談会出席者(役職は1986年の座談会開催当時)

 山村範重(富山市都市開発部公園緑地課課長)
 後藤敏伸(富山大学教育学部美術科環境造形学講師)
 米山辰二(日本交通公社富山支店支店長)
 河口清隆(富山商工会議所青年部会長)
 稲葉 実(三四五建築設計事務所)
 山口雪子(琴演奏家)

◇司会/中村孝一(グッドラックとやま発行人)

 

 

司会 富山城址公園は富山駅と市中心商店街とを結ぶ大切な位置にあり、市民が気軽に訪れることのできる憩いの場となればと思っています。
 富山市内からは、北アルプス・立山連峰の美しい山々を間近に見ることができ、〝東洋のスイス〝とも言われるほどです。この素晴らしい自然に囲まれた富山の街のシンボルとして、城址公園を見直していければと思います。

 

昭和30年代に設計された富山城址公園

山村 城址公園は昔の富山公園が昭和20年8月の富山大空襲の大火で廃園になっていたのを、戦後復興させたものです。富山城も昭和29年、当時の市長が博覧会を契機に、全国に先駆けて富山のシンボルとして再建したものです。
 その後、30年代に入って大阪城、名古屋城、そして35年にようやく熊本城の一の天守、二の天守が再建されていますが、富山城が火付け役になったことは間違いありませんね。
 しかし、30年代の設計のため、機能本位の広場的要素を重視してあり、現代人が求める目を楽しませてくれるような庭園的要素には欠けていることは否めませんね。

司会 編集部で市民100人を対象に行ったアンケートでは、城址公園に行く回数が一年に1回以上が3人、3年前に行ったという人が35人、5年以上行っていないという人が62人でした。行かない理由は「見る所がない」「木が少ない」「風の日に砂埃が目に入る」などが多かったですね。
 どのようになれば行きたいか、との質問に対しては、「公園らしい魅力が欲しい」、「池や川、滝などの変化を楽しめるとよい」、「日本庭園のような心の和む雰囲気」といった回答が多くありました。

 


▲日本三大名園の一つ、岡山県の「後楽園」。

 

後藤 公園と広場の概念は違いますからね。公園というのは、オープンスペースであり、パークでもあるわけです。ところが、城址公園は広場と公園の要素が混じっており、どっちつかずになっているんですね。今のままでは要素が多すぎます。環境的に独立したものがバラバラに点在しているので、城址公園に必要な物は何かを検討しなければならないと考えます。

司会 市民が行かないのは、広場的要素に魅力を感じなくなっているからで、今後は広場として造ったものを公園としてどう環境整理するかが重要ですね。全国にある公園を調べてみて驚いたのは、城址公園の6.6ヘクタールに対し、「兼六園」が10ヘクタールで、そんなに大きいわけではないんです。園内を遊歩道が行ったり来たりしているので、実際以上に広く感じるのでしょう。滝、池、小川、曲水、森、山など変化に富んでいて、見る所も多いですし…。
 有名な香川県の「栗林公園」でも7.5ヘクタール、東京の「後楽園」で6.89ヘクタールと、城址公園と大差がないこともわかりましたが、いずれも趣向を凝らした庭園です。樹木数を比較すると、城址公園が2610本に対して、兼六園は1万1800本、栗林公園が2万9190本です。
 兼六園は年間3億5000万円の管理費に対し、9年前に入場料を取るようになって以来、年間約2億7000万円の収入を上げているそうで、差し引きの行政負担分は8000万円だということです。
 城址公園の管理費の行政負担分は4300万円ということですので、兼六園の場合は3700万円多くかかっていることになりますね。この額を仮に富山市民31万人で割ると、一人当たり年間にしてわずか119円。金沢市民は富山市民に比べ、わずかの負担増で兼六園の素晴らしい恩恵を受けていることになるわけです。しかも、金沢のシンボルとして観光客を惹き付けているわけですから、一石二鳥と言えます。
 東京にある「六義園」は、柳沢吉保が将軍綱吉から別荘として拝領した土地を造園した、広さが10ヘクタール(兼六園の広さに匹敵)の庭園ですが、造園には千川上水から水を引き、わずか7年半で素晴らしい庭園に作り上げたということです。昔の技術と比較すると、現代は想像もつかない位の進歩を遂げており、それほど難しいことではないと思われます。問題は技術的なことではなく、市民が郷土愛から、全国に誇れるような公園を自分の街につくることを、心から望むかどうかにかかっていると思います。

 


▲石川県のシンボルにもなっている「兼六園」。

 

米山 短期的にも長期的にも、本当の公園らしい公園、地元の人が楽しめ、観光客も楽しめるものにしていくには、バードウォッチングみたいなこともできるようになればいいですね。

稲葉 私は労働一本の県民性が、街づくりにも投影されていると思います。人だまり、つまり、たむろする所が少ないんですよ。人の流れに関しては、よく考えられてはあるんですがね。
 その中で城址公園を考えると、富山市の〝止まり木〟のような存在になればいいと思うのです。

 

園内に人が集まる要素を

河口 一市民としてどこかに行きたいと思ったときでも、城址公園が頭に浮かばない。ですから、商売上でもお客様に自信を持って紹介できないわけです。まず、人が集まる要素がほしいですね。作られたという冷たさがあり、賑わいがないのです。人が集まって自然にたむろし、話し合える場所であってほしいです。
 また、公園というのは休む所に楽しみもあるわけで、園内に茶店でもあれば、人が足を向ける要素になるのではないでしょうか。

 


▲2015(平成27)年、富山城址公園内に完成した日本庭園。

 

山口 私はちょうど城址公園に面した松川べりに住んでいますが、街の緊張感から解放感を味わうための散歩コースが松川べりなんです。城址公園内にも自然に近い雑木林のような、うっそうとした所がほしいですね。夜はロマンチックな照明で、もっと明るくして…。そうすれば、外国によくある公園のような、素敵なムードが出てくるでしょうね。

後藤 外国は自然の中に公園が作られたのですが、城址公園の場合は自然のない所に作るわけですから、植樹を計画的にやる必要がありますね。

司会 では、城址公園を変身させるには、どのようにしたらよいとお考えでしょうか。

米山 自然あふれるうっそうとした森のある公園を考えるべき時に来ていますね。

山村 鳥類園の跡に「水公園プラン」を今、レイアウトしている所なんです。(平成元年に「親水のにわ」として整備)

河口 松川を利用し、一体感を持たせるようにしたらどうですか。自然を縮小化したものを庭園風に気軽に見れるようにするとか、魅力ある施設を作っていくべきですね。例えば、利賀村が3〜4年であの演劇フェスティバルを世界的なものにしたのですから、富山市も長期的に利賀村に習うべきです。常設的な文化機能を果たす、新しい文化を提供する場になればいいですね。

 

幅広い専門家の意見と市民の認知が必要

後藤 変えていく上において、造形操作は必ず入れなければなりません。つまり、環境造形の上から造園を考えるべきで、広くいろんな分野の専門家が集まって、プランを立てなければなりませんよ。

稲葉 先生と同意見です。松川べりの「彫刻プロムナード」にしても、また市内のそれぞれの通りの名前にしても、ある日突然パーッと登場したでしょう。もっと、そうなる過程を楽しまなければなりませんね。彫刻をその設置する場所で制作してみたり、通りの名前を何かの記念に付けるとか、市民にも認知、納得してもらえる形がいいですね。

後藤 「彫刻プロムナード」は、まるで彫刻のための特別な空間ということになってしまっています。公園というのは意識しないで通り過ぎていける所でなければならないのに、作家の芸術的主張からでしょうが、彫刻に台を付けたことで、市民に融合しないものになってしまったんです。

司会 兼六園は人工的に池を掘り、その土で山を作ったりしていますが、自然な感じですよね。

米山 まあ、何でも最初は人工的に感じるもので、ある程度の年代を経ていけば、自然な感じになっていきますね。立山のミニチュアが作られると夢がありますね。

司会 確かに30年前は間違いなくお城は富山のシンボルだったわけですからね。

 

富山の魅力のシンボルに

米山 富山は他で味わえない四季の変化を味わうことのできる、緑の観光地としての魅力があります。そのシンボルとして城址公園を位置づけることがポイントで、観光地づくりというのはそこに住む人がいい街だと思わない限り、観光客にも魅力がないということになるので、行政と市民が一体となって取り組むべきでしょうね。

河口 そうなると、城址公園周辺に対しても変化を余儀なくされると思いますが、市庁舎の移転などの問題が出てきますね。

山口 一人でも、ふらっといけるような公園にしてほしいですね。夏ならば涼みに行くとか、最近は森林浴の効果が注目されていますが、真の意味の市民の憩いの場としての公園づくりを考えていただきたいです。

司会 〝東洋のスイス〟とも言われる富山市の名にふさわしく,街の中心にある城址公園が自然あふれる公園になるよう、市民参加の城址公園づくりを行政にお願いしたいと思います。本日は誠にありがとうございました。

※その後の検討を経て、平成4年に現在地に完成。

 


▲富山城址公園内に1989(平成元)年に完成した「親水のにわ」を通り過ぎる松川遊覧船。

 

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