・森雅志富山市長 勇退記念インタビュー ・コンパクトシティ政策で富山市の認知度が飛躍的にアップ!

・森雅志富山市長 勇退記念インタビュー ・
コンパクトシティ政策で富山市の認知度が飛躍的にアップ!

 平成14(2002)年1月に富山市長に初当選し、平成17(2005)年からは7市町村が合併した新富山市の市長を務めてきた森雅志氏。
 今年4月23日の任期満了に伴って勇退する森氏に、これまでの19年以上にわたる富山市の街づくりの成果を聞いた。

聞き手/中村孝一(月刊グッドラックとやま発行人)

 

公共交通を軸にした暮らしやすい街づくりを

中村 市長選に出馬される際、弊誌が一番先にインタビューし、平成13(2001)年12月号に掲載しましたね。

 その節は本当にありがとうございました。最初の1年間あまりは自分のカラーを出さずやってきたんですが、実は7月に国土交通省の都市局にお願いして助役(後の副市長)に来ていただき、助役2人、収入役1人の体制になりました。歴代7人続くことにより、今日までの市政の推進に非常に力強いエンジンになりましたね。
 公共交通を軸にした街づくりを掲げ、路面電車の延伸や、富山駅の連続立体交差事業などのビジョンを発表したのが、平成15(2003)年の3月。それを実現するために、国土交通省都市局やJR西日本、富山地方鉄道等と話を進めていく上で、国土交通省から人を得たことが、非常に大きかったと思います。
 住民説明会は何百回もやりましたが、反対もかなりあり、説得していくうちに、車も公共交通も使う暮らしのほうに、次第に応援団が多くなりましたね。
 富山駅の整備については、高齢者も増えるし、ベビーカーを押すお母さんも垂直移動を伴う街では暮らしにくい。新幹線を降り、エスカレーターで下へ降りたら、タクシーもバスも自転車も、あらゆるものが地表レベルで乗り換えできる。そういうコンセプトでやろうと。富山駅の魅力は垂直移動が少ない、ということ。それは超高齢社会を踏まえると、必要だったと思います。
 その上で環状線を作り、グランドプラザと大和の前に駅も新しく作って、一日中グルグル回っていると。そして、去年の3月に南北接続ができ、高校選択はもちろん、いろんな面で選択肢が増える。最初はなかなか理解していただけなかったですね。

 

世界的な認知度が高まった富山市

中村 富山市は、世界でも評価されるようになりましたね。

 OECDのコンパクトシティ政策の5都市に選ばれ、国連からはエネルギー改善効率都市に日本の自治体では初めて選ばれ、また、ロックフェラー財団からも100のレジリエントシティに日本初で選ばれたりと、多くの国際的なオーガナイザー機関から評価を受けています。そんな中で、富山市というネームの認知度が高まっているんです。

中村 ケネディ元大統領は側近を活かしていましたが、森市長も専門的な政策参与にアドバイスをいただいておられますしね。

 すごく助けてもらっています。世界の隈研吾さんにも、月額1万7千円で政策参与になってもらってますから(笑)。毎年7月には東京で、富山市にゆかりのある中央省庁の方に、11月には富山に縁のある経済界の方に富山市の状況を報告し、おかげで外部の応援団も広がってきました。

中村 政策参与に、哲学博士のジョセフ・ランゾウ稲田さんもいらっしゃいますね。

 海外の機関や国連などに行く際の原稿の英訳や、発音も含めて指導していただき、とても助けていただきましたね。

中村 1人でできることは限られてますからね。

 そうなんです。トップは説明責任で終わらず、強いリーダーシップで根気よく市民を説得して、説明責任の先にある説得責任を果たすべき、というのが私の信念です。100パーセントの理解がなくても、大多数の理解が確信できれば、その公約を進めていくべきだと思っています。

 

水辺を活かした美しい街・サンアントニオ

中村 平成19(2007)年には、市の部長クラスとともにアメリカのサンアントニオにも視察に行かれましたね。

 ええ、予想以上でした。松川と川幅があまり変わらないのに、川べりにレストランやホテル、お店が並び、多くの人がリバーウォークを歩いていて、お祭りのような賑わいでした。しかも、大きな木が生い茂り、森林公園の中に商業施設があるという感じでしたね。

中村 写真だけでは、その場の雰囲気が伝わりにくいですからね。

 得る物が大きかったですね。大きな都市の真ん中を流れる自然の川を活かし、騒音を遮断して別世界を作るという構想は素晴らしい。これからの松川周辺整備に、とても参考になると思いました。

中村 サンアントニオ市は洪水に苦しめられ、バイパスを作って、現在のリバーウォークが誕生していますが、これは神通川にバイパスを作って松川が誕生した富山市の歴史と同じですし。サンアントニオ市からは、昭和60(1985)年に姉妹都市の申し込みを受けたほど好意を持たれていますしね。

 嬉しいですね。これからも友好都市として交流を深めていきたいですね。市民の皆さんにもサンアントニオの魅力をぜひ知ってもらい、ファンを増やしていくことが大切ですね。
 コンベンションの来訪者が、朝ホテルを出て散歩をする場合、松川河畔はとても大事な要素になります。いつも生き生きとした緑や季節の花に溢れている、そんな素敵な空間がふさわしいですね。
 これからの課題は、城址公園の西側と北側の整備で、松川とお堀をどのように一体化して整備するかがポイント。以前、「城址公園と松川周辺整備委員会」を立ち上げ、検討していただきましたが、これは後任の市長の重要課題ですね。

 

人口減少を見据えた選択と集中の政策

中村 政策に関して全くぶれておられませんよね。

 最初は「そんなことできるわけない」と、ドン・キホーテみたいに言われてましたから(笑)。大きなポイントは、市域のどこにいても同じ水準のサービスが受けられるべきだという考え方を、違うと言えるかどうか。人口が右肩上がりの時と同じことをやっていてはダメなので、選択と集中で、集中して投資する。
 その結果、そこの地価が上がり、税収が増える。それを円周部の人に使っていくということを議会はじめ、ずいぶん幅広い人たちが理解してくれ、税の循環、税の還流の必要性を自分の地元の人にも言ってくれています。

中村 反発の大きい中で、信念を貫いてこられたんですね。

 市町村合併も、それをやらないとだめなんだと説得しました。結果をデータで出せれば、なるほどねっていうことになって、「あんたの言ったことがやっとわかった」とよく言われました。

中村 勇退を目前に、最後に思われることは何でしょうか。

 個人的には、幸せだなと思います。自分が思う充実した仕事ができたし、何よりも市民一人一人のクオリティ・オブ・ライフがずいぶん上がったと思っています。あまり落書きもない、ゴミも落ちていない、花であふれている…。サンアントニオとまでは言いませんが、日本の地方都市としては非常に水準の高い都市になったと満足しています。

 

100年に一度の歴史的大事業を完成

中村 サンアントニオを参考にした松川雨水貯留施設の完成は、100年に一度の歴史的大事業。これは森市長でなければ実現できなかったと思います。〝水の都・とやま〟のシンボル、松川を美しくすることが、富山市の発展に大きく貢献することになりますしね。

 あれはタイミングが良かったですね。70数億かかっていますが、国の補助もありましたし…。

中村 未来を見据えた森市長の大胆な政策で、富山市も大きく変わりましたね。次期市長には、これまでの政策をぜひ引き継いでいっていただきたいですね。


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