西側のお堀を復元し、南側のお堀と松川をつなぎ、国際会議場の前から遊覧船に乗れるように
▲かつて西側の内堀があった場所
1997年8月号で、当時、富山大手町コンベンション㈱専務だった田村孝氏は、富山でしか味わえないアフターコンベンションを提言。
田村 孝さん
富山市打出出身。富山市都市政策課長や都市整備部次長などを経て、元富山大手町コンベンション㈱専務
観光的魅力のない都市は
コンベンション都市としての成功は難しい
現在、1999年夏の完成を目指し、富山国際会議場と富山全日空ホテルからなる、複合コンベンション施設の整備が進められています。しかし、どんなにすばらしい施設ができても、観光的魅力がない都市は、コンベンション都市としての成功は難しい、といわれています。
富山でしか味わえない
アフターコンベンションを充実し、差別化を図る
1994年、富山市は〝国際会議観光都市〟に選ばれ、コンベンション施設の建設に着手したわけですが、残念ながら市内には観光名所がほとんどありません。
他都市との厳しい誘客競争に勝ち残るには、富山でしか味わえないアフターコンベンションを充実し、差別化を図らねばなりません。そして、主催者の方々に、「是非、富山で大会や会議をやりたい」と思って頂かなければなりません。
大胆な発想と行動力が、富山を観光的魅力のある都市に変えていく
その為には、例えば、昔あった西側のお堀を復元し、松川と南側のお堀をつなぎ、国際会議場の前から遊覧船に乗れるようにして、富山の桜、緑、紅葉、雪景色を堪能できるようにする、というのも面白いのではないでしょうか。
〝観光都市としての成熟度が、コンベンション誘致の成否を握る〟といわれます。富山城の歴史を生かした、このような大胆な発想と、これを実行していく行動力が、富山を観光的魅力をもった都市に変えていくものと信じています。
“観光都市としての成熟度が、コンベンション誘致の成否を握る”といわれます。それはコンベンション参加者が、観光的魅力を開催都市に求め、アフターを楽しみたいからなのです。
▲富山城址新旧比較図 ※富山城址公園入口看板より
※旧富山市立図書館本館は、富山城の西側内濠の北側に当たる
【追加写真(2021年撮影)】
▲滝廉太郎少年像と富山城の旧内濠(西側)
▲松川雨水貯留施設
▲富山城の西の丸後通りに建っていた旧富山市立図書館本館跡(柵内)と、右奥の富山城の旧内濠跡(西側)
▲松川雨水貯留施設(制御盤の後ろに見えるのは、富山市の公園管理用の建物)
▲滝廉太郎少年像と、鱒寿司店街の看板(ますのすし発祥の地)
▲松川(旧神通川)に架かる安住橋からの富山城の西ノ丸後通り(旧富山市立図書館本館跡)を眺める。
▲西側の内濠跡の南端は現在、バス駐車場とトイレになっている。
▲南側の内濠と富山国際会議場(右側)
【関連リンク】
滝廉太郎が住んでいた頃の富山を探る(リンク)
松川貯留管の掘削工事 終点の西町交差点に到達(リンク)