富山城の歴史を生かし、市民が誇れる日本庭園に!

「城址公園整備懇話会」発足30周年記念
– 「グッドラックとやま」 平成3(1991)年9月号座談会より –

 弊誌が中心部の富山城址公園を富山市の歴史や文化を象徴する公園にと提案し、有識者や経済人、市民を交えての座談会を重ねてきて30年になる。富山市でも検討課題となり、再整備が進められてきたが、市民や観光客の憩いの場としてはまだ魅力が足りないようだ。今回は平成3年に行われた座談会を掲載し、当時の意見を振り返ってみたい。

 


・座談会出席者
[役職は平成3(1991)年の座談会開催当時]

横山真人さん 富山県議会議員
稲葉和彦さん NHK富山放送局局長
小泉 博さん 富山県芸術文化協会事務局長
豊崎智子さん NHK主婦リポーター
今泉慶子さん ’90ミス富山

・司会/中村孝一 
「月刊グッドラックとやま」発行人

 

司会 グッドラックでは、「街づくりと環境」をテーマに、キャンペーンを展開してきましたが、住む人にとって魅力的な街は観光客にとっても魅力的である、ということがわかってきました。そこで、富山市に市民が誇れるような観光の目玉が必要なのでは、ということで、城址公園の整備問題を掘りさげて研究しているわけです。

 

中心部にある富山城址公園の重要性

横山 広く富山市街地を考えてみた場合、富山の玄関口である富山駅周辺は富山の「顔」、西町総曲輪中央通りは富山の「ヘソ」、そしてこの城址公園は富山の「心臓」と言えると思います。近距離に位置するこれらの3エリアの中で、城址公園の役割は人々の憩いと安らぎの場所であることではないでしょうか。ところが実際は、現在の城址公園は、そういう意味ではまったく魅力がないですね。平面的ですし、重みや変化がなく、心に留まるものがない。そこに問題があると思いますね。

小泉 最近は外国の方を富山へお招きする機会がずいぶん増えまして、そういう時、我々は空港へお迎えに行って、この松川べりを通ってホテルへご案内するんです。その時、多くの方が異口同音に「富山はなんて素晴らしいところなんだ」と声を揃えて言われますね。桜の満開時期など、その感動はすごいものです。さらには、外国の方は日本人と違って、朝の散歩をする人が多いでしょう。ホテルに宿泊していますと、松川べりを歩いて城址公園を散歩されるんですね。そうするとまた、「きれいな公園ですね」と言うんです。
 ところが、住んでいる我々にとって、城址公園が美しいなんていう意識は全くなくて、「小さい時からそこにあるものだ」としか思っていないんですよね。

司会 城址公園についての市民アンケートをとると、84パーセントの人が不満に思っている、という結果でした。どうすれば良いか、との質問には「滝や池、小川が流れ、大木が生い茂るような自然あふれる日本庭園にしてほしい」という答えが圧倒的でした。

豊崎 主婦リポートで城址公園についての様々な年齢の人のご意見を伺ったことがあるんです。やはり、その時も「魅力がないから行ってもしょうがない」という意見が大半でしたね。
 やはり県民自身が城址公園へ行ってみたい、と思える公園でなければいけないと思います。
 先日、仙台へ行ってきまして、緑による安らぎをつくづく実感してきました。仙台駅を降り立つと、目抜き通りに続いている大きなケヤキ並木がとても印象的で、街全体が安らぎの空間であるかのようにとてもホッとした気分になったんです。城址公園の整備には、ぜひ「緑」を十分に取り入れていただきたいですね。

今泉 昨年8月にミス富山に選ばれ、約1年にわたって富山の観光PRに携わってきましたが、富山市に限ってのPRとなると、正直言って苦労しますね。特に城址公園というと、中心部にありながら観光的魅力がありませんし…。
 個人的には「お城」という歴史的建造物には興味があるんですけど、やはり若者代表としては、デートコースになるようなロマンチックな公園になればいいなと思いますね。

稲葉 私は4月にこちらへ赴任いたしましたが、転勤族ですので、「旅人の意見」として聞いていただければと思います。
 富山に来て2カ月足らずで感じますのは、ここはお米や魚等の食べ物が非常においしいということです。しかし、私どもがお客様をご案内するとき、ごちそうには困らないのに手軽にお見せする場所がないんです。市内を眺めると、本来は城址公園が迎賓館的な役割をするのに適当な場所だろうと思うんですが、残念ながら、先ほどからのお話の通り、中途半端という第一印象ですね。

司会 戦後、城址公園は人が集まる場所としてそれなりの機能を果たしていたわけですが、現在は県内各地にテクノホールや総合体育館等、イベントや運動のできる施設がたくさんできましたからね。

 

歴史に根ざした日本庭園に

横山 今、富山市には大きな公園と言える場所が4つあります。自然あふれる呉羽丘陵地域、広いスペースを生かしたイベント広場の稲荷公園、多目的な近代的公園である空港周辺地域、そしてこの城址公園。それぞれの特徴を生かすならば、城址公園はその歴史から言って、観光の目玉になる、ゲストパークとしての役割のある日本庭園ということになります。
豊崎 私は以前、水戸に住んでいたことがあるんですが、あの有名な偕楽園も、当時の記憶ではすごく荒れていたんですよ。それが今は、見違えるほど良くなっています。ここはやはり「お金をかけてやる」という姿勢が大切だと思うんですが…。市民の意見の総意に基づいて計画的に始めれば、きっといいものができると思います。

小泉 利賀の演劇があれほど成功したのも、思い切って〝お金をかけた〟からです。素晴らしい芸術空間を完全に造り上げたことが、全世界へ発信する演劇の拠点となったわけです。ですから、「ちょっと格好をつける」という中途半端は、結局「無駄」でしかない、と思いますね。お金をかけるだけかけてこそ、いい知恵が出るのではないでしょうか。


▲1992(平成4)年4月22日、「第1回城址公園整備懇話会」で、園内の池にかかる景雲橋を視察する委員。この時、美しく輝いていた赤い欄干の手すりは29年経った現在、腐食が進み、手入れがなされていないのが残念だ。また、2015(平成27)年に完成した日本庭園のシンボルとなっている滝が、ポンプの故障で今年の6月頃から止まったまま(8/8現在)で、市民や観光客から苦情が出ており、早急な対処が望まれる。

 

街のイメージを表す公園に

稲葉 今、街全体のイメージというものがとても大切な時代です。金沢にしても、仙台にしても、イメージがとてもはっきりしているんです。実際、仙台に何かあるかというと、そうでもない。そのイメージだけで観光的魅力があるんですね。
 そういう意味では富山県の総合計画の中で富山市がどのような役割をしていくのか、その上での城址公園をどう位置づけるのか、やはり「ゲストパーク」ということを明確に決めて進めていく必要があるのではないでしょうか。その上で、日本庭園という「壮大な無駄」をしてみることも良いのではないかと思いますね。

横山 富山はこれまで均一化といいますか、アイデンティティがなかったと思うんです。ところが、そのような遅れず、休まず、急がず、という勤勉な県民性が急速に変化してきております。そのためには、富山県民が富山の良さを知り、見直し、体得していかねばなりませんね。

稲葉 市民が公園に愛着を持つかどうかは、富山城の歴史に深く関わりがあると思うんです。もう少し歴史というものを、市民の中に育てていく必要があると思いますね。

豊崎 県内に「富山の歴史を探訪しよう」というグループがありまして、私はそこで、この松川が神通川だったことを教えていただいたんです。聞いてみると、この城址公園周辺にも色々ないわれのある場所がたくさんあるんですね。そのような方々をボランティアガイドに育成して、PRしていくのも面白いと思いますよ。もちろん行政の協力も必要ですが、できないことはないと思います。

横山 歴史の中にある富山らしさを掘り起こし、総点検するのも、重みのある公園にしていくには必要なことでしょうね。

小泉 そういう意味で、「滝廉太郎」にこだわり、長年研究してこられた中村さんは、世の中を徐々に変えていく原動力ですね。それがまた様々な人々への問題提起にもなるわけですし。

横山 近い将来、呉羽に桐朋学園大学が建設される計画があるんです。(1999年に桐朋学園大学院大学を設置)オペラ等で有名な伝統ある音楽大学ですし、タイアップして「滝廉太郎」、「城址公園」をつなげていけば、県内外の若者にもPRできるのではないでしょうか。ぜひ、若い人にそういった問題意識を持っていただきたいですね。
 今はそれぞれが点でしかないですから、これを線と面に結びつけていくことが必要です。この機会に、「城址公園を考える会」のようなものを、官、民、個人、団体を問わず広域的に集まりを作ったらどうでしょうか。

豊崎 市民の声を反映するためにも、ぜひやっていただきたいと思います。

小泉 グッドラックの誌面上でも、これだけそうそうたる人が「荒城の月園」を望んでおられますし、かなり集まるのではないでしょうか。

稲葉 富山は「何かやろう!」という気風がものすごいですし、行政力も素晴らしいですから、必ずできると思っています。

司会 本日は貴重なご意見、誠にありがとうございました。


▲1992(平成4)年4月22日、「第1回城址公園整備懇話会」で、往時をしのびながら視察する委員たち。城址公園には戦国時代に築かれた富山城の歴史を物語る石垣や堀が残るが、明治19年〜21年にかけて、この地で少年時代を過ごした滝廉太郎の格好の遊び場所だった。夜にこの石垣の前に立ち、月がかかっているのを見ると、思わず「荒城の月」を口ずさんでしまいそうな富山城址のたたずまいだ。


富山城址公園をめぐる動き(1988〜)

1988年(昭和63年)
・松川で、遊覧船が運航開始

1989年(平成元年)
・グッドラックとやま2月号で、「荒城の月」のモデルは富山城説を発表
・松川沿いに「親水のにわ」完成

1990年(平成2年)
・市議会で、初めて城址公園問題が議題に上がる。

1991年(平成3年)
・グッドラックの呼びかけにより、「平成の日本庭園・荒城の月園」造成を目指し、「富山城址公園整備懇話会」発足

1992年(平成4年)
・松川遊覧船駅舎(松川茶屋)完成
・「城址公園整備懇話会」第1回例会開催

1994年(平成6年)
・市議会にて、「城址公園整備構想策定に向けた懇話会」設置が決定。

1998年(平成10年) 
・富山市が南側のお堀周辺と、中央部西側の芝生広場の再整備に着手

1999年(平成11年)
・富山市が「城址公園基本計画」を発表

2002年(平成14年)
・富山市が「城址公園基本設計概要書」を発表

2003年(平成15年)
・神通川直線化100周年記念「川と街づくり国際フォーラム」を開催

2005年(平成17年)
・富山市郷土博物館をリニューアル

2007年(平成19年)
・千歳御殿の門(千歳御門/埋門)を、園内へ移築

2008年(平成20年)
・千歳御門脇(南側)に石垣が完成

2012年(平成24年)
・富山市が「第1回城址公園松川周辺エリア整備計画検討委員会」を開催

2015年(平成27年)
・日本庭園が完成
・富山市立図書館が移転のため、閉館

2016年(平成28年)
・「富山市本丸亭」が園内に完成

2018年(平成30年)
・「富山市まちなか観光案内所」完成

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