滝廉太郎の育った富山城址に「荒城の月園」を創ろう!
・創刊45周年記念企画 2022 グッドラック 街づくりを考える・
– 「グッドラックとやま」 平成3(1991)年10月号 座談会より –
県都・富山市の中心に位置する富山城址公園のあり方について、これまで『グッドラックとやま』では様々な分野の県民市民に参加いただき、座談会を重ねてきた。今回は、市民による「城址公園整備懇話会」準備会をスタートさせた当時の座談会を振り返りながら、先人たちの思いを改めて確認し、さらなる魅力アップを考える手立てとしたい。
◇座談会出席者
[役職は平成3(1991)年の座談会開催当時]
新田嗣治朗 さん 日本海ガス㈱ 社長
金尾力松 さん 富山港湾運送㈱ 社長
緒方 裕 さん 富山地方鉄道㈱ 社長
堀江秀雄 さん ㈱堀江商会 社長
高沢規子 さん 北陸プレート製作所 社長
山崎佐和子 さん 竹林堂 専務
◇ゲスト
加藤良夫 さん 武生市立図書館長
・司会/中村孝一
(月刊グッドラックとやま 発行人)
司会 城址公園を日本庭園に整備し、富山のシンボルにしようと、先日、市自民党議員会による「城址公園を考える会」が発足しました。これを受け、議会と共に市民の意見を反映させるために「城址公園整備懇話会」を発足させるべき、との意見を多くいただきました。庭園のテーマを、滝廉太郎がここ富山城址で生活していた印象をモチーフに作曲したと言われる、名曲「荒城の月」に求めたら良いのでは、と考えていました折、武生市(2005年より越前市)ではすでに、紫式部が若い頃に一年半ほど住んでいたことに着目され、「紫式部公園」が作られたとお聞きし、今日のゲストとして福井県からお招きしたわけです。
後世に残る文化性の高い庭園を
加藤 武生市の故・笠原市長は、県下の市町村長の中でも文学市長として知られ、戦場に赴いたときも万葉集を持っていくほどの文学青年でした。市長になられてからも、いつか武生のモニュメントとなるもの、後世に残る文化性の高いものを作りたいと思われていたようです。
昭和58年、この市長の発案で、市政35周年記念事業の一つとして、紫式部の銅像建立を企画されました。私もそのスタッフの一員として、資料集めに奔走する中で、世界的な人物である紫式部を偶像化するには中途半端でなく、世界中の人が納得するものを作らなくてはならないと思いましたね。
というわけで、最初は銅像を作るというだけの発想から始まったんですが、それではどこに作ろうかという段になると、自然と人工をうまくマッチさせることは非常に難しいんです。そこで、平安貴族の住宅のあった場所で、区画整理事業により、造成される約6000坪の都市公園の半分3000坪に、平安時代の寝殿造り庭園を設け、その一隅の小高い丘の上に式部像を設置することになったんです。
司会 参考までに、ご予算をお聞きしたいのですが…。
加藤 紫式部像はとても大きいので、およそ5000万円ほどですね。実はこの庭園の土地は国の区画整理区域に入っており、陳情の末、国の予算でやりましたが、約6億円ほどかけましたね。
結果、現在では県外からも観光客が相当みえられますし、市民の理解も絶大です。今後は、これをいかに良くしていくか、ということで、庭園内外の整備を行っております。
武生には菊人形で有名な中央公園がありますが、これと紫式部公園を連絡し、2つの点を線で繋ぎ、ここを歩けば武生市の文化や歴史がわかるようなモニュメントをたくさん配置しました。現在は面的な整備に力を注いでいるわけですが、全体的には7〜8億円ほどかかったと思っています。
緒方 市民の憩いの場所として城址公園はあるわけですが、実際どれだけ市民に利用されているかとなりますと、年に数回のイベント以外は日中も閑散としている現状ですからね。もっと市民に利用されるようになる、というのがポイントかと思いますがね。
加藤 そういう意味で「多目的である」というのは、逆に使いにくいんです。市民がどう使っていいのかわからないですからね。公園のテーマや目的が明確であれば、それなりの使い方ができますし、公園に合ったイベントが生まれてくるはずです。
今、社会的にもゆとりということが重視され、休日が増えると共に、お金を使わずに過ごせる場所、老人や子供、女性らが安心して行ける場所が、ますます必要になってくると思いますよ。
行政に積極的に働きかける整備懇話会の発足を
高沢 富山市内も段々と家の敷地が狭くなり、日本庭園を作る家庭も少なくなってきていますので、ぜひとも中心部に気軽に歩いて行ける日本庭園が望まれますね。
緒方 これは紫式部をテーマになさった日本庭園ということですが、発案されてからどの位でできあがったんですか?
加藤 35周年という機を逃すと意味がないということで、昭和58年の約1年でほぼ8割を完成させたんです。
高沢 しかし、武生と紫式部が結びつくなんて想像がつきませんでしたね。
新田 紫式部公園という目に見えるものができて初めて知った人も多いだろうね。しかし、紫式部は1年半しか武生にはいなかったそうだけど、よくそれだけの期間で、紫式部を記念した立派な日本庭園を作ったものだね。
司会 まるで、紫式部がここで生まれ育ったのかと錯覚しますね。
▼越前市の「紫式部公園」。2025年の大河ドラマの主人公が紫式部に決まり、地元では観光の活性化に期待が高まっている。
堀江 私は一昨年、菊祭りに行った際に見てきたんですが、とても素晴らしい公園でした。木はまだ小さいですけど、もう15〜20年もすれば緑でいっぱいの庭園になると思いますよ。やはり全国的に知名度のある人物をテーマに造られた日本庭園ということで、話題性が大きいですね。
加藤 最初の構想は大きい方が話は進みやすいという気がします。紫式部公園につきましても、何か夢のような話だと思われていたものが、ある程度話が進むと、どんどん協力の輪が広がっていきました。どうせ造るならいいものを、とみんなが考えましたからね。
目的をどの辺りに置くか、それが肝心なことではないでしょうか。一番難しいところですがね。
新田 今日は「城址公園整備懇話会」の準備会発足ということで、後日、改めて有志を募り、正式に会の発足をしましょう。
金尾 そうですね。城址公園の整備は商工会議所始まって以来の、観光行政における一大課題です。市議会で既に「城址公園を考える会」があり、今回市民サイドでもこのような会ができました。今後は市民と共に行政に対し、積極的な働きかけをしていきたいと思いますね。
山崎 私も一市民として、何かの形でお手伝いできることがあれば、お力になりたいと思います。
司会 本日は貴重なご意見を、誠にありがとうございました。
▼1993(平成5)年、滝廉太郎の母校、富山県尋常師範学校附属小学校跡地に建つマンションの1室にオープンした「滝廉太郎記念館」。富山城の石垣に「荒城の月」が輝く絵画が展示されていた。(現在、「滝廉太郎記念館」は富山城址公園内松川茶屋内に移設)
◎各氏がグッドラック誌上で発言された、城址公園の日本庭園化に対するご意見(まとめ)
【新田嗣治朗 氏】
富山市発展のためには、中心部に市民が誇れるような立派な庭園が必要だと思います。
「荒城の月」誕生のロマンを秘めた歴史を生かして、「荒城の月」をテーマに、日本を代表する自然あふれる日本庭園を創造できれば、富山の大きな財産になると思います。
【金尾力松 氏】
富山には全国に誇れるような歴史的、文化的象徴とも言うべき日本庭園がないので、街に風格がなかったんですね。滝廉太郎が城址で生活していた歴史を生かして、「荒城の月」にある「栄枯は映る世の姿」の一節にもあるように日本の四季││春夏秋冬のハッキリした自然いっぱいの日本庭園を造れば、後世に残る文化遺産を創造したことになると思います。
【緒方 裕 氏】
富山の木と緑を十分に生かして、「行ってみたくなるような庭園づくり」を考えていかねばなりませんね。魅力ある街づくりを考える上で、富山市中心部にある城址公園の整備は重要ですね。
【堀江秀雄 氏】
城址公園は富山市というより、富山県のシンボルとなるべき必然性を担う公園ですから、全国的にも第一級のネームバリューのある「荒城の月」をテーマにした庭園を造ったら素晴らしいと思います。
【高沢規子 氏】
これまで県都・富山市に目玉になるものがなかったのは寂しい限りです。しかし、富山には何もないのでなく、今あるもの、そして古くからの伝統と歴史というものに、いかに光を当てるか。それが私たち市民の大きな務めではなかろうかと思います。水と緑といい出会いの富山、いい出会いの場を提供してくれる「荒城の月園」を富山のシンボルにしていかねばなりませんね。
【山崎佐和子 氏】
市民の憩いの場所として、また観光の目玉として、富山の特徴を出した日本庭園が必要だと思います。市民や観光客の立場からは、人がそこへいくとちょっとしたものが食べられる施設があるといいですね。
富山城址公園関連の動き(1988〜)
1988年(昭和63年)
・松川で、遊覧船が運航開始
1989年(平成元年)
・グッドラックとやま2月号にて、「荒城の月」のモデルは富山城、との新説を発表
・松川沿いに「親水のにわ」完成
1990年(平成2年)
・市議会で、初めて城址公園問題が議題に上がる
1991年(平成3年)
・グッドラックの呼びかけにより、「平成の日本庭園・荒城の月園」造成を目指し、「富山城址公園整備懇話会」発足
1992年(平成4年)
・松川遊覧船駅舎(松川茶屋)完成
1993年(平成5年)
・「滝廉太郎記念館」がオープン
1994年(平成6年)
・市議会にて、城址公園整備構想策定に向けた懇話会設置が決定
1998年(平成10年)
・富山市が南側のお堀周辺と、中央部西側の芝生広場の再整備に着手
2000年(平成12年)
・松川茶屋対岸にリバー劇場完成。その後、毎年「リバーフェスタ」開催
2003年(平成15年)
・神通川直線化100周年記念「川と街づくり国際フォーラム」開催
2005年(平成17年)
・富山市郷土博物館をリニューアル
・松川茶屋横に階段状の「カフェテラス」完成
2007年(平成19年)
・千歳御殿の門(千歳御門/埋門)を、園内へ移築
2008年(平成20年)
・千歳御門脇(南側)に石垣が完成
2015年(平成27年)
・日本庭園が完成
・富山市立図書館が移転のため、閉館
2016年(平成28年)
・「富山市本丸亭」が園内にオープン
2018年(平成30年)
・「富山市まちなか観光案内所」オープン
▼1994(平成6)年4月、松川に就航した大型船「滝廉太郎Ⅱ世号」。日中のお花見遊覧はもちろん、夜桜を楽しむディナークルーズが人気を呼んだ。
“過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡すことができるだろう。”
ーウィンストン・チャーチル