「荒城の月」誕生のロマンを秘めた日本庭園を

創刊40周年記念企画
シリーズ 〜グッドラック40年の軌跡〜 ⑩

五十嵐俊行富山市議会議長に聞く

「荒城の月」誕生のロマンを秘めた日本庭園を

インタビュアー/中村 孝一 (月刊グッドラックとやま発行人)
(1991年1月号「月刊グッドラックとやま」独占インタビューより)

 “顔がない”と言われる富山市。全国紙がアンケートを取ると、当時の知名度は毎回最下位。これでは市民が誇りを持てるわけがない。滝廉太郎が富山城にまつわる“戦乱の世の栄華と哀愁”をテーマに作曲した“荒城の月”。そのロマンを秘めた日本庭園を創造できないか。議会で最も信頼の厚い議長と、熱く語り合った。

中村 今、富山の最も大きな課題は何だとお考えでしょうか。

五十嵐 やはり富山市は県都であると同時に、日本海側の拠点都市ですので、活気とともに風格のある街づくりが必要だと思います。

中村 富山の街づくりのビジョンについてお聞かせ下さい。

 

ベルギー・ブルージュに似た水と緑の街

五十嵐 富山市は立山黒部アルペンルートという、素晴らしい観光資源を持ちながら、その通過地点に過ぎない。これは非常に情けないと思います。

中村 やはり、街の中心に魅力をつくっていかないと市内観光は発展しませんね。一昨年、全広連の全国大会で、富山へ初めて来られた方が「富山は水と緑がいっぱいで、北のベニスと言われるベルギーのブルージュに似ている」と。富山の街づくりを考える上で、重要なポイントかと思います。

五十嵐 私も水と緑には大変関心があります。この間、ワシントンへ行きましたが、水量豊かなポトマック川に船がゆったりと往き交い、大変心が安らぎました。松川も浚渫して水量を豊富に美しくして、遊覧船が往き交えば、世界に誇れる街になると思いますよ。

中村 神通川から誕生した松川を〝水の都とやま〟のシンボルとして、美しい水辺に演出することは可能だと思います。


▲水と緑を活かし、しっとりとした風情ある街として人気の高いベルギー・ブルージュ。

 

松川の遊覧船を“水の都とやま”のシンボルに

五十嵐 例えば、金沢は兼六園のことじ灯籠が街のシンボルになっています。一方、富山は街の真ん中を美しい松川が流れ、遊覧船が行き交っている。このイメージをシンボル化することができたら、観光的にも大変イメージアップになると思うんです。
 富山と言えば松川、松川と言えば遊覧船と。松川の遊覧船が富山の〝顔〟となれば、そこで撮影された1枚の写真が“水の都とやま”の全てを物語るようなシンボリックな場所となって、全国から観光客を引き寄せることができると思います。

中村 賑わっている街を見ると、観光に力を入れてますね。観光客の消費が地元の消費を上回り、実際の人口の2倍、3倍のマーケットを持つこともあります。
 世界屈指の観光都市と言われるベネチアは、人口32万人。富山市と同じ人口の街に、世界中から年間500万人を超える観光客が訪れています。食事や宿泊、買い物がなされ、まさに街が潤っているんですね。

五十嵐 やはり旅へ行く者は、持っていったお金は全部使ってこようという気持ちで行きますからね。地元で生活している人は、生活必需品以外は買わないんですよ。そうなると、北陸3県が一体化して、他府県からの観光客をいかにして呼び込むかが重要になってくる。地域の人だけを相手にした商売をしていては発展しないですね。

中村 観光客によって、街全体が潤ってくれば、ホテルや飲食、交通以外にも、様々な産業に波及していきますし。

五十嵐 例えば有馬温泉へ行く人は、六甲、神戸、大阪へも立ち寄る。富山も近くへ来たら、必ず立ち寄る街にする。今のように富山、石川、福井がそれぞれに単独で観光を展開していては、人の流れを吸収できないですね。

中村 富山に初めて来られた人は、金沢とはまた違った魅力がある、とおっしゃいますね。

五十嵐 県外へ行って聞くと、富山の場所さえ知らない人が多い。先ほどのお話にあったような、全国大会の開催地として、富山を訪れる人が増えることは大変良いことだと思います。

中村 ところで、滝廉太郎の代表曲、『荒城の月』は富山城がモチーフだった、という記事が全国の新聞に掲載されると、ぜひそのお城を見たいと、神戸から観光客が来られたんです。その後、『荒城の月』のモデルとなった城址らしく、その誕生の歴史を味わえる雰囲気を醸し出していたら良かったのに…と手紙をいただいたんですよ。

五十嵐 そうですか。せっかくですから、滝廉太郎のブロンズ像や、『荒城の月』を連想させる碑文のようなものも造ったら良いと思いますね。県民自らが誇りを持って、富山の街を案内できるようでなければ、他府県の人を呼ぶことはできませんから、そうした県民へのPRがまず課題ですね。


▲往時を偲ばせる富山城址の石垣(1988年ごろ)。滝廉太郎は、1886年から1888年にかけて城址で遊んだ。

 

滝廉太郎のブロンズ像を建立しよう

中村 その通りですね。そこで、「文化の街・富山」のシンボルとして『荒城の月』のモチーフとなった富山城址公園の松川河畔に、滝廉太郎のブロンズ像を建立しようとキャンペーンを始めたんですよ。松川(昔の神通川)で少年の滝廉太郎がよく遊んでいたと言われますし、遊覧船が通る時に目に入れば、観光客へのPRになるでしょうしね。

五十嵐 それはいいですね。県民に誇りを持たせ、観光客には文化の街・富山を印象づけられますし。そういう風に、市内中心部に名所を作っていくことが重要です。

中村 そうなんです。特に街のど真ん中にある城址公園が今のままでいいのか。グッドラックが実施した市民アンケートによると、84パーセントが城址公園を不満に思っているという結果が出ました。「自然あふれる日本庭園」にしてほしい、という意見が一番多かったですね。
 2000年国体を目標に、市民が誇りにできる富山の「顔」をつくることが今、いちばん求められていると思います。

五十嵐 以前、城址公園はイベント広場として作られていましたが、現在はテクノホールや総合体育館等の施設ができ、昨年、植木市も稲荷公園に移りました。これを機に、城址公園を完全に庭園化したほうが特色を出せると思います。昨年2月の定例市議会でも、故白山議員から「富山城」にふさわしい日本庭園に改造し、「富山のシンボルに」という意見が出され、市民の大きな関心を呼びましたね。

中村 城址公園の広さは2万坪。名園と言われる熊本の水前寺公園や、世界に日本文化の素晴らしさを紹介した京都の桂離宮も同じ広さです。これだけの広さがあれば、工夫次第で非常に魅力ある庭園を創れると思うんです。そこにはテーマが最も重要になってくるんですが、日本人の魂のふるさと、とも言われる名曲『荒城の月』誕生のロマンを秘めた富山城址にちなんで、日本に、いや世界に一つしかない「荒城の月園」を創ったら素晴らしいですね。

「荒城の月」誕生のロマンを秘めた日本庭園を

五十嵐 やはり、人の真似をするより、特色を出したものを創らなければね。レンガ倉庫で有名な小樽も、行ってみると意外にたいしたことはない。ですから、『荒城の月』をイメージしたシンボル的な庭園を、2000年を目標に思い切って作ればいいと思います。
 先日、新聞でも拝見しましたが、あなたが永年研究してこられた『荒城の月』のモデル富山城説も、ついに百科事典にまで掲載されることになり、まさにお墨付きがついたことでもあり、これを機会に「荒城の月園」を作ったら良いと思いますね。富山が本気に「文化・観光都市」を目指しているんだ、という旗印にもなりますよ。

中村 戦乱の世の栄華と哀愁とが混じり合った名曲『荒城の月』。「天上影は変わらねど 栄枯は移る世の姿」は、まさに自然あふれる日本庭園に再現できるわけですね。春夏秋冬の四季の移ろいがハッキリ感じられる庭園こそ、まさに『荒城の月』そのものですからね。 日本文化の根源は、日本の四季の美しさからきていると言われますが、『荒城の月』のテーマを持った庭園を創るということは、「日本人の魂のふるさと」を創るということになるんですね。
 昭和20年の大空襲で富山の街は焼け野原にされましたけど、我々の魂までも殺すことはできなかったんですね。富山が日本人の魂のふるさとである『荒城の月』誕生のロマンを秘めた街である、という歴史まで消し去ることはできなかったというわけです。

五十嵐 「荒城の月園」が誕生すれば、富山がモダンな街であるとともに、歴史と伝統を大切にする文化の街なんだ、ということも知ってもらえる。また、「音楽の街」としての薫りとともに、どっしりとした風格のある街になるでしょうね。住む人に誇りを与えるでしょうし、「荒城の月園」の誕生は、世界に富山の存在を知らせることになるでしょう。

中村 「日本人の魂のふるさと」を一目見たいと、「荒城の月園」に世界中からやってくるようになったら素晴らしいですね。

 



「荒城の月」モデル

富山城説にお墨付き

―百科事典再版に掲載決定―

 滝廉太郎作曲の名曲『荒城の月』のモデルが富山城であるとする説が、ついに小学館発行の『日本百科全書』(全25巻)に掲載されることになった。
 富山城説の根拠は、廉太郎が城の近くで過ごしたのは富山城と竹田の岡城だけであり、城内に小学校や住宅があり、生活までしていたのは富山城だけだったこと。
 『荒城の月』の詞は、土井晩翠が戊辰戦争で、会津鶴ヶ城の落城に代表される“戦乱の世の栄華と哀愁”をテーマに作詞したものであるが、通説の岡城は、島津の大軍3万にも破れることのなかった「難攻不落」の勝者の城。明るい曲は作れても、「荒城の月」にあるあの悲哀のこもったメロディはどうしても生まれない。
 これに対して富山城は、戦乱の世に上杉謙信に破れたり、佐々成政に殺された早百合姫伝説など、“悲哀に満ちた栄枯盛衰”の史実をたくさん持っている。城内で生活していた廉太郎は、荒れ果てた石垣を毎日目にしており、多感な少年期に富山城にまつわるこうした様々な話を父親から聞いて育った。
 今度の百科事典掲載を決定づけたのは、そのテーマとなっている“戦乱の世の栄華と哀愁”が富山城の史実の中にあり、廉太郎がイメージを醸し出すには、「幼い頃過ごした富山城を思い出すしかなかった」ということが認められたと言えよう。

 


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