失敗は成功のもと

株式会社ハタナカアート 社長
畑中 仁志 さん

Hitoshi Hatanaka

 大学4年の時、創業者の父親から「どこでもいいから、看板屋へ行ってこい」と言われ、最初に飛び込みで訪問したのが銀座のネオン看板屋だった。
 「偶然、工場長が、富山の同じ看板屋で父と一緒にいたことがわかり、そこでアルバイトをすることにしました。バブル全盛期で、『明日から来い』という感じでしたね」
 卒業後、正社員に。


 「当時は、保険会社や銀行の合併が多く、ビルの横の突き出し看板の入れ替えがものすごかったんです。夜中しか道路使用許可が取れないので、よく夜中に仕事していましたね。そのまま、朝のラジオ体操をして夕方まで、ということもありました。きつかったですが、給料はよかったですよ」
 4年程して、富山に戻った。
 「最初はとまどいました。まわりはみんな筆を持って書いてますから。しかし、父は、『お前は筆を持つな。お前は電気とか、そういうところをやれ』と。別室を設け、カッティングマシンを入れて、『操作を覚えてこい』ということで、専用の機械の勉強に朝から夕方まで行っていたこともあります」
 看板業界は、5年程の周期でどんどん変わっているそう。
 「今は、インクジェットプリンタが主流ですし、ネオン看板も完全にLED看板です」
 看板は、一つとして同じものがないため、試行錯誤はつきもの。
 「最初の広告物の構造体を作った時、『朽ち果てない、たばこの火をつけても何も起きない看板』という要望で、ステンレスの琺瑯焼きがいいとわかったのですが、当時、県内でできるところがない。ようやく九州で見つかったのですが、届いたものが熱でねじれていて、ボルトの位置が合わない。結局、少しずつまっすぐにしましたが、大変でしたね」
 失敗を恐れずに取り組み、試行錯誤をしながら完成品に近づける中で、畑中社長は、これからもいろんな創意工夫を積み重ねていく。

 

プロフィール ●
昭和40年(1965年)1月16日生。富山市生まれ。東京電機大学機械工学部卒。銀座の看板屋に4年程勤め、富山に戻る。今から6年程前に、創業者の父・勇清氏の跡を継ぎ、社長に就任。

 

Q&A

●休日
 平日も図面を描いたり、見積を作成して過ごすことが多い。「ポッと空いた日曜日には、家内と長野の方にドライブに行って、蕎麦を食べて帰って来るとか、そんな感じですね」

●夢
 「何もかも忘れて、全部引退して、家内と一緒に、ゆっくり旅行にでも行ければ、それが最高の夢じゃないですかね(笑)」

●座右の銘
 「失敗は成功のもと」
 「試行錯誤」

●一番大切にしているもの
 健康

●尊敬する人
 創業者の方
 「仕事の鬼みたいな人が多いですよね。そして、それぞれ創意工夫されている」

●趣味
 ドライブ、エンジンの構造を知ること
 「たまにエンジンの専門誌を読みます」

●一番寛ぐ時
 「自分1人になって、何も考えてない時ですかね」

●うちの女房
 「結構おおらかかもしれません」

●旅行で印象に残っている所
 「学生時代、友人と2人で、オートバイで、2週間程かけて北海道をぐるぐる回ったのですが、楽しいことばかりでなく、いろいろなことが起きたんです。たぶん、一生忘れられない旅行だと思います」

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