鹿嶋神社―鱒の寿司のルーツは祭り寿司?

 桃山末期に有沢に「鹿嶋社」として創建されたという鹿嶋神社。富山藩2代藩主・前田正甫公は鹿嶋の神を産土神として崇敬になり、新たに現在地に遷宮され、富山藩の「裏鬼門除け祈願所」として、磯部一帯に広大な境内地を有し御鎮座になった。
 なお、鱒の一番脂の乗る初夏(新暦6月下旬)、春祭りがあり、神通川で川魚を商う鹿嶋の氏子の人達が祭り寿司として、当時から盛んに作っていたとの話も残っているそう。現在も、鹿嶋神社氏子(七軒町周辺)や近隣の宮司兼務の諏訪社(諏訪川原)、神明神社(鵯島)に老舗の鱒寿司店が立ち並ぶ。
 なお、鹿嶋の神(武甕槌命)が「柏の葉に乗って神通川を降ってこられた」との伝説もあるとのこと。また、民間信仰として水神のご神徳顕著にして、讃え奉ったそうです。興味深いですね。


▲この神社の境内の一部は富山藩の家老を務めた近藤善右衛門長房の下屋敷で、前田正甫公はこの近藤氏邸内で誕生したと言われている。その産湯井が現拝殿のやや南方にあったと伝わる。

※参考/鹿嶋神社ホームページ、案内看板

 

 

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