昆布を探しにきた?徐福(じょふく)渡来伝説
昆布の消費金額が日本一の富山市。この理由について、『昆布を運んだ北前船 昆布食文化と薬売りのロマン』(塩照夫著)という本では、①北前船が下地を作った、②富山の薬売りの影の力による、③明治以降の北海道移住・漁業出稼ぎにある、④真宗の仏事の精進料理による、という分析をしておられる。
今回は、富山と縁の深い昆布について、更にさかのぼってみてみたい。
『昆布を運んだ北前船』によると、昆布には古い伝説「徐福渡来伝説」があり、その伝説地は日本に21あまりもあるという。
徐福渡来伝説は、直接富山には関係しないが、古代日本海文化、古代日本文化に面白い話題を提供してくれると塩氏は述べる。以下、この伝説についてみていこう。
紀元前219年、中国の斉(せい)の国の方士(ほうし・不老長生術の専門家)・徐福が、秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬を求めて日本にやってきた。その薬は、天台烏薬(うやく)の根(クス科の薬木、中風に効能)というが、その木は中国にも生えているので、徐福が求めたのは昆布だと言われているという。
中国の『史記』『秦始皇本紀』によると、ある時徐福は「東海上に蓬萊(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)という仙人の住む3つの島があります。そこへ行って仙人から不老不死の薬をもらってきます」と上奏し、始皇帝から神に仕える汚れを知らぬ童男(おぐな)童女(どうじょ)数百人を請い受け、東海へ船出してそのまま行方をくらましたという。古来日本では、蓬萊は富士、熊野、熱田などの霊山をいう。
「不死(富士)山で他界し、ツルに化身した徐福を葬った鶴塚」(山梨)、「熊野へ行き、捕鯨術、漁業(藻採り)を教えここで死んだ」(和歌山)等、各地にユニークな伝えがあるそうだ。
永山久夫氏の『食べものはじめて物語』によると、「海の野菜」の昆布は、高血圧予防、がんの免疫強化、老化防止などさまざまな効能があるという。なお、富山県の海辺の市長村では、徐福は漁業、農業の生業の守り神として尊崇されているそうだ。