堀川、中川運河、松重閘門(名古屋市)

水辺空間を生かした新都心の創造に向け、今年、世界運河会議を開催!!

 以前、『ブラタモリ』でも紹介されていたが、江戸時代初期の名古屋開府に際し、建築資材運搬用の運河として伊勢湾から名古屋城付近まで「堀川」が開削された。
 その後、過密になってきた堀川の船の運航をスムーズにするために、1926年(大正15年)に「中川運河」が着工され、1930年(昭和5年)に一部、1932年(昭和7年)に全線開通し、「東洋一の大運河」と呼ばれた。
 堀川と中川運河の水位を閘門式で調整する、パナマ運河方式の「松重閘門」も作られた。ヨーロッパの城塔を思わせる優美な4つの塔があることから、「水上の貴婦人」と称された。
 中川運河の船舶往来は1964年(昭和39年)にピークを迎え、貨物の輸送は船からトラックへ変わっていった。松重閘門も1976年(昭和51年)に使用停止となるが翌年、住民の要望で存続されることになった。ただし、閘室は埋められたという。
 近年、水辺空間を生かそうという気運が高まっており、2017年には中川運河の定期運航便がスタート。今年5月には、世界運河会議の開催が予定されている。



▲クルーズ名古屋


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