八幡堀(滋賀県近江八幡市)

豊臣秀次が堀・運河として築く

 八幡堀は、豊臣秀吉の甥にあたる豊臣秀次が近江13万石を与えられ、琵琶湖に臨む標高286mの八幡山に八幡城を築いた際に城の堀として、また、運河として商業の発展を願って、琵琶湖から水を引いて築かれた。
 天正18年(1590年)、小田原征伐の軍功により、秀次は尾張・伊勢を与えられ、百万石の太守として尾張清洲城へ移り、代わって京極高次が2万8000石で八幡城主となった。
 文禄4年(1595年)、京極高次が大津城に移ると八幡城は廃城となった。この年、豊臣秀次は秀吉の逆鱗に触れ、高野山で自刃。城は廃されたものの、秀次が築いた碁盤模様の城下町は存続し、近江商人の町として江戸時代を通じて繁栄した。
 この堀は、時代劇のロケ地としても知られる。

参考/八幡城の案内板より


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