市民が参加し目標を掲げた街づくりを。

2003年、『川と街づくり国際フォーラム』で来県した
リチャード・ハード さん

 馳越線工事の完成から100年を迎えることを記念して、2003年9月19日㈮、富山国際会議場で「川と街づくり国際フォーラム」が開催された。小誌2003年9月号では、基調講演を行うリチャード・ハード氏が日本での講演でサンアントニオのリバーウォークについて語った発言をまとめて掲載した。その内容を改めてご紹介しょう。

 「リバーウォークの始まりは1921年。この年の9月、集中豪雨によって川が洪水を起こし、街は大変な被害を受けました。市民からの訴えにより、市は専門家に依頼して、上流に洪水を調節するダムを建設すること、バイパスを作ること、そしてこの大湾曲地帯をコンクリートでフタをして、大通りにするという解決案を出しました。3つめの案は非常に大きな論争を巻き起こし、環境保全家たちが組織を作り、この湾曲部を残し、川を中心に都市公園と商店街にしようと訴えました。この考えは、若き建築家ロバート・H・H・ハグマンの夢でもありました。市の委員会でスピーチをした彼は、マルチ畳の歩道、小さな店鋪、歩道橋、アパート、コーヒーショップなど、細くて曲がりくねった古いスペインの町並みに見られるような街の構想を発表し、賛同を得ました。これで、湾曲部を埋め立てる計画は避けられたのです。
 1929年の経済不況からそれに続く大恐慌の中でもこの計画は生き、1941年3月、1万7千フィート(約5・2㎞)の遊歩道、それに沿っての擁壁、また31箇所の地上道から川へ下りる階段が完成しました。リバーウォークはすぐには発展しませんでしたが、1950年代後半からビジネス界および商工会議所の努力により、市はリバーウォーク指導委員会を設立し、美しい自然の魅力・風情、古き良き時代のサンアントニオらしさをリバーウォークの建物や土地に残していこうとしました。そして『世界博覧会』開催へ向け、新しいコンベンションセンターまで川が延長され、リバータクシー、足漕ぎボート用の船着き場、保全専用の船も作られました。1988年にはショッピングセンターやホテルがあるリバーセンターの中心まで川が延長され、官民一帯の開発により会議参加者はどんどん増えていきました。リバーウォークは、常時多くの観光客で賑わい、24時間パークレンジャーと呼ばれる警備がボートで見回りをしている安全な場所です。年間を通して「泥んこパレード」や「クリスマスイベント」、「リバーパレード」など市民によるさまざまなイベントが開催され、賑やかな光景が見られます。
 川には人が楽しめる活動があるとか、住居があるとか、何か商業的な活動が行なわれているとか、人がそこに来るという手立てがなければいけないと思います。
 最も重要なことは、まず近辺の住民たちが川をどういう方向に持っていくか、人々にとってどうしたら魅力のあるものになるか、目標を設定した上で、人々の手で設計をしていくということだと思います。

 

Richard.G.Hurd●リチャード・ハード
アメリカテキサス州サンアントニオ市公園管理者(来県当時)。
テキサス大学で植物学学士号取得。テキサスA&M大学で観賞園芸学修士号取得。1981年以降、サンアントニオ市公園・遊園課に勤務。81年〜98年サンアントニオリバーウォーク、市洪水対策の管理責任をとる河川管理監督官を経て、98年リバーウォーク、植物園などを含む公園全体の管理者に。

 

*馳越線工事により洪水の被害が減少し、廃川地を中心とした今日の県都の基盤が築かれた富山。湾曲部を川として残し、一時埋め立て案が持ち上がったという点でも、富山の川の歴史と似ているサンアントニオ—。

リチャード・ハード氏は富山の前に3度、加古川、和歌山、山形を訪れ、講演を行っている。



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