“水の都”の歴史を生かしたまちづくりのビジョンを持つことが必要

㈱押田建築設計事務所 会長
押田 洋治 さん

 1954年に父が立山町で創業した建築設計事務所を継ぎ、1995年に富山市丸の内に移転。建築のプロフェッショナル集団として、富山県内を中心に建築設計・再開発コンサルタント業務に取り組んできた押田洋治さんに、今の富山のまちづくりへの思いを聞いた。

 

  「富山には、立山連峰をはじめ、松川、城址大通りなど、美しいものがたくさんあります。特区みたいなものを作ったりして、その良さをもう少し際立たせるような仕掛けをしていったらいいと思いますね。今、中心部の道路沿いにフラワーハンギングバスケットがたくさん飾られていますが、本当にきれいですね」
 一方で、世界から見た視点では、日本人の人間性を大事にしていけばいいと話す。
 「明治の頃に日本に来た外国人は、日本人の礼儀正しさや、ゴミが落ちていないとか、思いやりがあって親切とか、人間としての素晴らしさに日本の良さを感じたわけですからね」
 近年、産学官が連携したまちづくりにも取り組んできたが、課題も感じているという。
 「今のままでは十分ではない、産学官で力を合わせて何とかしなければならない、という総論では気持ちは一致しているのですが、それぞれが自慢のものを持ち寄るという姿勢が不足しているようにも感じますね」
 城址大通りは、富山大空襲後の戦災復興事業で、パリの凱旋門からセーヌ川に向かって伸びるシャンゼリゼ通りをモデルに作られたと言われているが、市民にはあまり知られていない。
 「富山の街を良くしていくためには、そういったユニークな歴史についても話し合ったらいいと思います。普段、なかなかそういうことを考えることがないですからね」

 

おしだ・ようじ●
1944年(昭和19年)、立山町生まれ。1967年、日本大学理工学部建築学科卒業。1969年、日本大学大学院理工学研究科修了。1969年〜1971年まで、久米建築事務所に勤務。1971年、押田建築設計事務所に勤務(1995年、富山市丸の内に移転)。1972年から2024年まで、代表取締役を務めた。
代表作品は、福光町庁舎、流杉病院療養型病棟、立山町立雄山中学校校舎、体育館改築工事など。
2014年、旭日小綬章を受章。
昨年、創業70周年を迎えた。

 

おすすめ