磯部の一本榎(富山市) 早百合伝説の場所

 「磯部の一本榎」は、戦国時代、富山城主・佐々成政によって側室・早百合が「鮟鱇のつるし切り」のようにして殺されたという伝説がある木だ。場所は、大正初期に大正天皇の御大典(即位式の祝賀行事)を記念して植樹された磯部の桜並木の途中の護国神社裏。昭和20年8月の富山大空襲で焼夷弾の直撃を受けて枯れたが、落ちた種が育った2代目の榎2本を見ることができる。
 早百合が成政の寵愛を一身に集めていることをねたんだ側室ら(奥女中らとも)が、早百合を陥れようと、ある男(竹沢熊四郎、又は、岡島金一郎)と密通しているという証拠を捏造し、それが成政の怒りを買い、早百合と親族十余人が惨殺されたというストーリー。無実の罪で成敗される早百合は、恐ろしい面持ちで血涙を流し、歯を食いしばり、「五十四万石落城さするも、この恨みをはらさで置くべきか」と言い捨てて亡くなったという。
 成政の残忍性が感じられる話だが、佐々成政の研究で知られる遠藤和子氏は、一族の子孫は生きており、成政としては無実を信じながらも、噂が広がった以上、法度の手前処罰しなければならなかったのだろうと述べている。また、故・廣瀬誠氏の「成政の後に越中を支配した前田氏が、善政をしいた成政を慕い懐かしがる民衆への人心収攬策の一つとして利用し、ことさらゆがめ誇張して流布したものでしょう」との推測も紹介している。
 なお、近くには、故・翁久允氏と、大岩日石寺管長だった故・中田法寿師が、早百合の供養と富山空襲の時に神通河畔で死んだ多くの人の冥福を祈るために建立した「早百合観音祠堂」がある。

参考文献/「佐々成政」(遠藤和子著・サイマル出版会)、「神通川と呉羽丘陵」(廣瀬誠著・桂書房)






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