月読社、檀山(だんざん)神社、月岡古戦場(富山市)

月岡に残る歴史の数々

 

 地鉄上滝線・月岡駅近くの壇ノ山の東側一帯(現在、月読社の鳥居が残るあたり)には、越中神話の語る「月見が池」という大きな池が広がっていたらしい。第十代崇神(すじん)天皇の御代、北陸道に遣わされた大彦命(おおひこのみこと)が、広漠とした越中の原野を池のあかりを目当てに進み、「月見が池」と名付けたのだという。8月15日の夜の満月には、雨や曇りの日も月を映すという伝説が残っている。しかし、汚れ物を洗ってから見えなくなったそうだ。
 その近くには、檀山神社がある。もと建部社であったが、明治42年、神明社と月読社を合祀して、檀山神社と改称したのだという。社伝では、富山市文殊寺(旧大山町)の武部神社と共に、近江国(滋賀県)一ノ宮建部神社の分社という。
 なお、文殊寺の女神が、壇ノ山の男神を訪ねようと熊野川を渡った時、鮭の背に足をすべらせて晴着をぬらした為、女神が怒って「もう来るな」と言ったら、それ以来、熊野川に鮭がのぼってこなくなったという伝説が残っている。
 少し離れているが、開発駅近くには、月岡古戦場跡がある。戦国時代に越中全域で大きな勢力を誇っていた越後の上杉謙信が天正6年に急死したことで、尾張の織田信長が斉藤新吾に命じ、飛騨の入口から富南平野までの地域の攻略にあたらせた。新吾は、撤退中の上杉勢を月岡野で討ち取り、その首は首塚に埋め供えられた。その塚から出土した石仏が現在祠に安置されているのだという。


▲月読社と立山連峰。


▲鳥居


▲月読社?


▲月見が池の名残り?


▲檀山神社。大正13年に月岡文化会が境内に月見ノ滝を造った時に、縄文時代後期(4,000年前)の遺跡が発見され、壇ノ山遺跡と名付けられた。


▲月岡古戦場跡に建つ祠。


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