旧十二銀行 米倉(魚津市)

米騒動発祥の地

 大正7年(1918年)7月23日、汽船・伊吹丸が北海道行の米を積み出す為に魚津町(現・魚津市)に入港。艀船で積み込みの荷役中、それを聞いた漁師の主婦ら数十人が十二銀行(現・北陸銀行)の倉庫前に駆けつけ、それでなくてさえ価格が高騰している米を他国へ持っていかれては、品不足となり、ますます暴騰するという懸念から、米を積ませない、と大騒動に及んだため、人夫もその気勢に恐れをいだいて積み込みを中止。伊吹丸乗組員も争うのは危険と考え、目的の積み込みを中止し、早々に錨を抜いて北海道へ向かって出帆した。主婦らはその夜、米商店を個別に訪問し、窮状を訴えると共に他国へ米を搬出しないよう懇談した。その後、東岩瀬町、泊町、高岡市、西水橋町、東水橋町、滑川町、生地町、石田村(現・黒部市)、四方町(現・富山市)、横山村(現・入善町)でも次々と哀願や騒動が起こり、全国的な米騒動へと発展、時の寺内内閣の退陣へと発展した。
 米価格の高騰の原因は、(1)第一次世界大戦による好景気で、都市部の工業労働者などが増加、(2)養蚕などにより農家の収入が増加し、それまでのムギやヒエの食生活から米を食べる生活に変化、(3)大戦の影響で米の輸入量が減少、(4)地主や商人が、米を米殻投機へまわすようになり、次第に売り惜しみや買い占めが行われるようになり、米価格の高騰に更に拍車をかけた、などが挙げられる。
参考/案内板(富山日報記事)、Wikipedia、他

編集部注:米倉は2010年3月に修繕されています。


▲記念碑と米倉。米倉には「魚津市の自然と文化財を守る市民の会」と「新川森林組合」の協力によって防護壁が設置されている。


▲近くの大町海岸公園


▲船のへさきと積んである米俵をデザインした米騒動のモニュメント


▲米騒動発祥の地前の海岸


▲米倉の反対側


▲その隣の建物(旧十二銀行跡)

 


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