願海寺城址と七曲がり(富山市)

上杉、織田 覇権争いの舞台

 

 旧8号線で、呉羽から小杉方面に向かう途中に、「願海寺」という三叉路があるのをご存知の方は多いと思う。その近くに、戦国時代、願海寺城というお城があり、上杉方と織田方の覇権争いの舞台となった。もともとは、越中国の国人で畠山氏の家臣・寺崎氏が築城したと考えられている。天文19(1550)年に上杉謙信によって落とされ、当主の寺崎行重が敗死。その子・盛永は謙信に属し、謙信が能登国の七尾城の畠山氏を攻め落とした際には一緒に戦ったとみられる。
 盛永は謙信の死後、織田信長方についた。天正9(1581)年3月、越中国の平定を進めていた佐々成政、神保長住が馬揃えのため京に赴いている隙に、上杉家臣で松倉城主・河田長親が兵を率いて小出城(富山市水橋)を攻めた。成政はすぐに引き返して事なきを得たが、この時、盛永らが上杉方へ帰参する動きがあるとの情報が流れ、信長の側近・菅屋長頼に攻められ、落城した。盛永とその子・喜六郎は近江国・佐和山城へ送られ、信長の命により切腹させられた(盛永は七尾城で切腹したとも)。城は落城とともに廃城になったようだ。平成14年5月に行われた発掘調査で、二重の水堀を巡らす居館が検出された。
 願海寺城の城下町内には北陸道が貫通していたが、道は防衛のために曲がりくねっており、「願海寺の七曲がり」として伝わっている。(参考/Wikipedia、他


▲城の主郭部があったとみられる雇用促進住宅一帯。


▲願海寺城址の石碑。


▲すぐそばにある看板。


▲明治天皇が明治11年の北陸巡幸の折に休憩所として使った建物。「明治天皇願海寺御小休所」と書かれた碑が建つ。


▲「小休所」前にある説明。


▲その隣にある板塀のお宅。「順徳天皇神霊御還遷ニ付小憩遺跡」などと記された看板がかかっている。


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