富山城の西側の内濠跡(富山市) 

ここを復原できると、富山城の風格が高まるかも…

 通常、城は周囲を濠で囲まれているもので、富山城も例に漏れず、内濠と外濠で守られていた。北側の外濠に神通川を利用したのは有名な話で、佐々成政が、当時蛇行を始めた神通川を固定したという逸話が残る。『馳越線100周年記念特集(3) 「はせこし100周年」 遠藤和子さんに聞く 成政と神通川』(弊誌2003年9月号参照。Webでも閲覧可能)
 戦後、埋め立てられ、富山消防署や市町村会館、丸の内会館(県遺族会)などが建てられた。その後、取り壊されたが、松川雨水貯留管が建設されるに当たり、地下トンネル掘削の入口となり、完成後に関連施設が作られた。
 なお、新旧比較図を見ると、旧富山市立図書館本館は濠の上にはなかったことがわかる。西ノ丸後ろ通りには、江戸時代、塩蔵、御涼所(川端之亭)、御船蔵が並んでいた。また、明治10年代後半に会席料理や西洋料理の店等が建てられた。






▲旧富山市立図書館本館があった場所は、西之丸後ろ通りに当たる


▲富山城址新旧比較図(富山市教育委員会)より


▲旧神通川べりに建てられた『対青閣』。中越商工便覧(川崎源太郎 著)より。
 右側に見えるのは「船橋」の後に架けられた「神通橋」。右奥の山は呉羽丘陵。

参考/『富山城ものがたり』(富山市郷土博物館編集)、中越商工便覧(川崎源太郎 著)

 

 

 

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