さんさい踊り〈富山市無形民俗文化財〉 (富山市)

円隆寺に古くから伝わる女子どもだけの盆踊り

 「さんさい踊り」は、富山市梅沢町3丁目の天台宗円隆寺に伝わる400年近い歴史を持つ、女子どもだけの盆踊りで、7月14日・15日両日の宵に、「富山さんさい踊り保存会」(昭和30年設立)の運営により、同寺境内で行なわれている。昭和46年に、市の無形民俗文化財に指定されている。なお、その時に、日本舞踊家の藤間勘史弥が今の踊りを振り付けたという。
 起原は、前田利次公が初代富山藩主として富山城に入城した寛永16年(1639年)前後に既にあった素朴な子どもの盆踊り。その後、盆踊りで富山藩士と加賀藩士の喧嘩があり、責任者が切腹させられ、盆踊り取締令が出た(盆触れ)が、この踊りは子どもの盆踊りであり、寺社管轄だったので唯一許されたという。
 寛文6年(1666年)、前田利次公が懇請し、上野寛永寺の末寺として、山号・寺号「正覚山円隆寺」を授かり祈願所とした。京都八坂神社から勧請した祇園さま(牛頭天王)と、女性の川流れ除けの神とされ「かわうそ大明神」の名で親しまれる如意輪観世音菩薩坐像を祀り、特に女性の参詣が多く、次第に「さんさい踊り」が円隆寺の厄払いの祇園会に奉納されるようになった。
 ちなみに、近隣の人は、円隆寺を「ぎょうぎはん」とも呼び親しんでいるが、これはお祀りしてある祇園さまをなまって呼んだところからきているという。
 昭和60年には、旧五番町小学校(現中央小学校)のリズム体操に採用され、運動会などで踊るようになり、現在もその流れで、中央小児童も踊りの輪に加わる。
■参考文献/富山さんさい踊り保存会資料、円隆寺案内板、『神通川と呉羽丘陵』(廣瀬誠著・桂書房)

【豆知識】
「サーイサンサイ、ヨンサノヨヨナーイ」という囃子詞は、「もう佐々(成政)の世ではない」という前田家の治世を謳歌したものとの説もある。
 なお、歌詞は数多く歌い継がれており(黒坂富治著『富山県の民謡』によれば、64首)、当時の富山藩における人情や風俗、習慣、方言など、日常の暮らしぶりをうかがうことができるという。〝舟橋切れた 舟橋切れた 舟の大事の ぎょうぎさま(祇園さま)〟
〝小さいこどもに 花がさきせて 着せてながめりゃ 愛らしや〟
  (富山さんさい踊り保存会設立30周年記念資料)

 


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