大手門跡(富山市) 

江戸時代、富山城の正門があった場所

 大手モールの富山市民プラザ側の歩道に、ひっそりと「大手門跡」と書かれたプレートが埋め込まれています。「大手門」は、富山城の正門でした。富山城跡正面入口の案内図にも、「大手門」の文字が見えます。
 富山市郷土博物館のホームページの「博物館だより 第八号」によると、大手門付近は敵の侵入の際に直進を防ぐため升形になっていたので、その名残で明治の中頃まで道が直角になっている箇所があったそうです。明治32(1899)年8月の大火で市街の大半(約4600戸余り)を焼き尽くした後、大手通りの一部が拡幅され、直角の部分がなくなりました。
 明治の終わりから大正の初めにかけ、城内に県庁、現在のANAクラウンプラザホテルの場所に富山市役所、現在の富山国際会議場の場所に富山市役所(いずれも洋風建築)が建てられ、大手通りは富山のメインストリートとなり、大正2(1913)年開業の路面電車もここを通っていました。





■富山城址新旧比較図(富山市教育委員会)より

 

 

 


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