森田 明さん(1927-2015) “大和”を動かした男

文/中村孝一

 2015年10月30日、グッドラックの顧問であった㈱トラヤの森田明会長が、88歳で天国に召された。
 森田さんは2007年9月に誕生した、大和をキーテナントとする「総曲輪フェリオ」誕生の立役者だった。
 当時、このプロジェクトは、中心街活性化の切り札として注目されていた。しかし、地権者が多く誰もが不可能と言った難事業であった。
 1992年、森田さん抜きで準備組合が結成された。しかし、計画は全然進展せずいきづまっていた。
 「はじめの頃、なぜか私はかやの外に置かれていたもので、協力しようという気持ちも起こらずにいたんです。ところが、中沖知事が、『森田が中心になってやらんと、うまくいかんぞ』と言っておられたと金尾力松さんから聞き、ようしと奮起したんですね」
 理事長に就任するや、早速再開発事業がわかるコンサルタントにも入ってもらい、目標に向かって計画を立て、一歩ずつ進めていった。
 「バブルが弾けた後で、しっかりしたキーテナントを見つけられるかが、この事業の成否の鍵を握っていると思いました。その時、大和さんが、もう少し広くして建て直しできないか検討されている、との情報をつかんだのです。大和は〝西町の顔〟。動くはずがない、と誰もが思い込んでいました。大和が動くなんて、ありえない、というのが当時の空気でした。しかし、私はもしかしてと思い、ひそかに責任者に会って本心をただすと、西町は大和の発祥の地であり、動きたくない、と思っていたが、もう少し大きくしたい、との思いの方が強くなり、西町にこだわらなくなった、と」
 あの時、あなたは、「ついにやった!大和が動く!」と大喜びでしたね。そして、「中国のことわざに、山を少しずつ削って、とうとうその山を動かした、という話があるけど、好きな話でしてね」と笑っておられたのが忘れられない。
 実は1984年、グッドラックで「富山の観光を考える会」を結成、森田さんにも委員になってもらい、城址公園を市民や観光客にうるおいと、やすらぎのある日本庭園として整備しよう、と行政に要望した時のこと。市側から「城址公園は完成している」、と突き返されましたね。しかし、森田さんはこの中国のことわざを引用して、〝信念があれば、必ず山を動かせる〟と、皆を励ましていましたね。その予言通り、2015年春、日本庭園がついに完成しましたね。委員会が提案し、議会でも何度も議論して、実に31年もかかりましたが、あの時、森田さんがおっしゃった通り、池があり、滝が落ち、曲水が流れる、立派な回遊式庭園になりましたよ。ここでもあなたは、〝山を動かした〟んですね。
 また、1989年、少年時代富山で過ごした滝廉太郎が、富山城を見ながら育ったことを研究するうちに、「荒城の月」のモデルは富山城、との新説が生まれ、その結果、日本庭園のテーマを、春夏秋冬がハッキリ感じられる「荒城の月園」にしましょうと話が盛り上がりましたね。
 先日、晴れわたった夕方、この庭園を見に行くと、ちょうど富山城の上に月がかかり、「昔の光、今いずこ」と〝荒城の月〟を歌っている人がいて、その後ろ姿がとてもあなたに似ていてハッとしました。
 「できれば死ぬ前に3年間、どっぷりと旅行につかりたい」とおっしゃっていた森田さん。「できれば若い女の人を同伴でね」。その夢が実現したかどうか、聞けなかったけど、最後までロマンチストでしたね。ながら、日が暮れていくのも忘れて未来を語り合ったことが、今でも昨日のように蘇ってくる。吉田さん、あの時の夢が実現するよう、「月世界」から見守っていて下さいね。また会う日まで、グッドラック!

 


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