牛尾治朗さん(1931-2023)松川の桜は〝日本一〟「リバーシティ」として開発を!
文/中村孝一
桜が大好きだった牛尾治朗さんが、6月13日、92歳で天国に召された。64年にウシオ電機を設立。69年には日本青年会議所会頭に就任。95年から4年間、経済同友会の代表幹事を務め、規制緩和による民間主導の経済への転換を主張。当時の小泉純一郎首相のブレーンとして活躍した。
半世紀以上にわたって経営に携わったウシオ電機の会長を20年5月に退き、同9月には取締役を退任した。
牛尾さんを初めて知ったのは、86年、竹村健一さんのTV対談で、中沖知事や渡部上智大学教授などと、富山県の魅力づくりについて話し合っていた時だ。私は77年にグッドラックを創刊、市民参加の座談会を重ねる中で、「友だちが遊びに来ても連れて行く所がない!」との悲しい叫びに、どうすれば魅力ある街をつくれるか、模索していた時期だった。
竹村さんが、「知事にも話したんだけど、テキサス州にサンアントニオという街がある。あそこから富山市に姉妹提携を申し込んできたと言うけど、実はサンアントニオ川の両側を、ウォーターフロントの見事な街に変えたことで、今、アメリカで一番人の訪れる街に生まれ変わったというニュースが、この前も出たんだね。ぼくが前に行った時には、船の上で飯を食うんですよ。メキシコに近いので、有名なマリアッチの音楽を船上で聴きながら食事をするわけ。それが素晴らしい全米ナンバーワンの観光都市になって、以前はサンアントニオいうたら、アラモの砦だけやったけれど、今は「リバーシティ」として発展している。富山も〝水の都〟とか〝川の王国〟を目指すんだったら、「リバーシティ」として開発したら、それだったら富山市とサンアントニオ市が姉妹都市として提携する意味がある」
これを聴いていた牛尾さん、あなたはすかさず、「ああ、それはいいですね!」と相槌を打ってくださいましたね。しかし残念ながら、あれから37年も経ちましたけれど、姉妹都市としての提携はなされていません。
それにしても牛尾治朗さん、あなたは桜が大好きでしたね。日本中の桜を見に行っていらっしゃいましたね。桜のトンネルの中を遊覧船に乗って見られるのは松川遊覧船だけ、との評判を聞き、当時、日本海ガスの社長だった新田八朗さんと私の案内で乗船され、「全国の桜を見てきましたが、遊覧船から見る松川の桜は〝日本一〟」と、おっしゃっておられましたね。
私は富山市の「リバーシティ」としての開発を夢み、賛同してくださった牛尾治朗さんが忘れられない。
▼遊覧船に乗って、松川の桜を楽しまれる牛尾治朗さん。