「磯部御庭」ゆかりの場所護国神社

 

 現在の護国神社を中心とする一帯には、2代藩主・前田正甫公が元禄15年に築造させた「磯部御庭」があったそうです。富山市郷土博物館発行の『博物館だより』第二十二号によると、正甫公は、磯部村(当時)にあった家老近藤善右衛門の下屋敷(現在の鹿嶋神社の辺り)で生まれ、磯部村の鎮守である鹿嶋神社を深く崇敬していたことから、磯部村から諏訪川原にかけての一帯を御用屋敷(富山藩の用地)として鹿嶋神社の社殿を新築、これを中心に一大庭園を設けたそうです。
 前述の『博物館だより』によると、「まず、神通村から引き出した巨石で石山を築き土を盛り、富士山という築山を造りました。そしてこの山に、梅・桜・桃・柳・李(すもも)・梨を植えて、ふもとには茶の木山やツツジ山などを造り、山吹・紅葉など四季の草木花を植えました。城から磯部までの間には東海道の名所を模し、琵琶湖を形づくり、その周囲には八景をつくり、茶亭も設けました。また、この大庭園には、東南に立山連峰、西に呉羽山、すぐ横には豊かな神通川の流れという天然の背景も添えられており、金沢の兼六園にも劣らぬ立派なものでした」ということで大変素晴らしい庭だったようです。
 御庭が廃絶した後も、「磯部富士」は長く残っていたそうですが、今はなく、跡地に往時を偲ばせる岩積み岩組みが築かれています。

■参考文献/『博物館だより』第二十二号(富山市郷土博物館ホームページ)、『神通川と呉羽丘陵』(廣瀬 誠 著 桂書房)

 


 


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