ユニークな発展がきめて

八尾正治

富山県郷土史会長
(肩書きは執筆当時のもの)

 

 富山県ほど、まとまりのいい県はない。中心の富山市までは、どの市町村からでも充分日帰りできる。石川県における加賀、能登。福井県の嶺南、嶺北。岐阜県の美濃と飛騨。近県のこれらの地域は、それぞれ異なった風土と歴史を持ち、較差が甚だしい。
 そんな恵まれた富山県でも、かつては呉東、呉西という地域区分が言われた。呉羽山という富山平野にせり出した低い山が県を二分して、ことごとに比較された。東の開発が遅れ、政治行政は西高東低という声もよく聞いた。しかし、昨今は高い低いは解消し、今に残るのは衆議選の1区、2区の区分だけである。
 私は郷土史研究を通じて、かねて富山県の地域ごとの比較文化論を探求してみたいと思っていた。それは県庁に在職していた頃、こんな話をよく聞いたからだ。出先勤務を命ぜられて、いちばんやり易いと喜ぶところと、そうでないところの差である。言い換えれば、役所としてどの地域がやり易いかという順である。
 その第一が東西砺波。第2が下新川、第3が婦負と上新川、第4が富山市、第5が氷見市、第6が高岡市、第7が射水、第8が中新川だという。富山、高岡以外の市は、それぞれの地域に含まれる。この説を否定するか、肯定するか。肯定するとしても、その内容をどう分析するか。ここでは論ずまい。しかし、それぞれの地域の特製を物語るものとして捉えてみれば、面白いと思う。
 私論だが、私は比較文化を論ずるときの地域区分を、こう考える。砺波圏は経済力も豊かで、ガツガツしない。特に南砺は昔から金沢との交流が頻繁で、文化は金沢的である。伝統芸能ひとつを見ても、豊かでレベルが高い。昨今でも、金持ち争わずの例だろうか、選挙に無競争が多い。
 氷見はどうか。非常に能登的で、かつて富山の北海道と悪口を言われたこともあったが、独特のユニークな文化を持っている。高岡は、経済としての特色を持ち、町人文化で組み立てられている。射水は、富山と高岡の中間に位置し、政治的に最も進んだ住民意識を持つ。かつては、政治的先覚地としての南郷地帯(老田、池多、金山、水戸田、櫛田にかけての山麓)の名を誇った。
 富山市は、10万石の城下町としての歴史を持ち、行政の中心地。最も都会的である。婦負は、富山藩領としての長い歴史から、加賀藩領だった他地域と異なる優れた文化を持つほか、飛騨の色も入っている。中新川は、米騒動、電気騒動などの地元として、思想的に尖鋭なものを持ちつつも、多くは保守的である。下新川は、他域が関西的なのに、関東的な色を帯び、当然のことながら頸城くびき(新潟)文化と共通したものを持つ。また、「新川モンロー主義」と言われ、団結が強い。
 今や地方の時代、文化の時代と言われる。これらの地域が、それぞれユニークな特徴のある文化を持ち、発展してゆくことこそ必要ではないだろうか。

※グッドラックとやま 昭和61( 1986 )年11月号「地域文化論」より・役職は当時のもの

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