増山城跡(砺波市)

砺波地方の軍事、政治、文化の中心


▲二の丸跡(本丸)

 

 増山城は、砺波市増山地内の和田川右岸、標高148mの丘陵上の砺波平野を見下ろす場所にあった。
 もと亀山城ともいい、南北朝の争乱に和田城として史上に初見する。室町時代には、守護代神保氏の累代の居城で、越後の上杉勢の度重なる来攻を受けた。
 永禄3年(1560)に神保長職が上杉謙信により富山城を攻略された後、この増山城に立て籠った。永禄5年に長職が上杉氏に降伏した後は、増山城が神保氏の拠点となるが、神保家の反上杉派が一向一揆と組んで抵抗したため、天正4年(1576)、上杉謙信に攻略された。
 その後、天正9年(1581)、織田軍の攻撃により落城し、佐々成政が馬廻り衆を入れて守っていた。
 前田氏治下には中川光重、山崎長鏡が城代を務めたが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となったとみられる。
 行き方としては、富山からの場合、359号を頼城の森の手前(坪野)で右折、239号の前で右折し、増山大橋に向かってもう一度右折する道順がよさそう。駐車場はないので、要注意。七曲りや二の丸へ向かう坂は結構急なので、気合いを入れて登ろう。
 ここは、築城から廃城までの100年余り、砺波地方の軍事、政治、文化の中心となった由緒ある場所だ。天気のよい日、ピクニックがてら出かけてみては?

 


▲本丸への道から眺める和田川ダム湖

 


▲急な坂道を登る

 


▲神水鉢。自然岩に穴をうがった石鉢。旱天期でも水は決してかれることがないといわれている。神保城主はこの水に落とす月影で時刻を知ったとされる

 


▲馬洗池。歴代城主が馬に水を汲んだという

 


▲増山大橋から見たダム湖

 


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