高田城(新潟県上越市)
北陸新幹線の上越妙高駅から車で10分程のところにある高田城跡の高田公園は、明治時代、陸軍第13師団の入城時に3,000本を超すソメイヨシノが植栽され、日本三大夜桜の一つとして有名である。ちなみに、あとの2つは、弘前公園(青森県弘前市)と、上野恩賜公園(東京都台東区)とされる。
それはさておき、高田城は、徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって造られた。創藩当時の高田城は、親藩の大藩である越前福井藩と共に、加賀前田藩を挟み押さえ込む配置となり、幕府にとって重要な位置づけとされたが、泰平の世が続き、前田家と将軍家も縁戚を重ねるなどしたため、次第にその役割は小さくなった。松平忠輝の改易(家禄・屋敷の没収)や越後騒動など相次ぐ事件の舞台となり、江戸中期以降はしばしば親藩、譜代大名で不始末をした大名の懲罰的な転封(国替)先の位置づけが強くなった。なお、越後騒動による藩主・松平光長改易の際の高田城受け取り役は、富山藩2代藩主で富山売薬の基礎を作った前田正甫公が務めている。
■参考文献/Wikipedia、案内看板
▲高田城絵図(17世紀後半)
▲三重櫓(復元)
▲三重櫓から見た景色