上杉 vs 織田 “手取川の戦い”があった場所


 天正5年9月23日(1577年11月3日)、石川県の手取川下流一帯で、織田軍主力と上杉軍主力の、初めての、そして1回きりの戦いが行われた。
 9月15日、上杉謙信は七尾城を攻略したが、織田軍総勢5万が手取川を越えたという情報を受け、9月18日、南下を始め、松任城に入った。
 一方の織田軍は、柴田勝家を総大将に、佐々成政、前田利家、滝川一益らが進軍していたが、手取川を越えたところでようやく七尾城の落城と上杉軍の松任城入城を知った。勝家は、即座に撤退を下命したが、運悪く手取川が増水していて逃げ場を失い、織田軍は千余人が討ち取られ、川に流された者、その数を知らず、といわれた程の大打撃を受けて退散した。
 謙信は関東情勢が気にかかっていたので織田軍を追撃せず、一旦春日山城(新潟県上越市)に凱旋したが、その翌年、急死してしまう。
 ちなみに、秀吉は当初は勝家にしたがって参加していたが、途中で、勝家とその後の作戦について意見対立を起こし、勝家の許しなく、勝手に帰国したという。秀吉は、謙信側の動向をつかむ情報蒐集の必要性を説いたのではないか、と小和田哲男氏は推測している。

■参考/案内の石碑〈『上杉謙信』(花ヶ前盛明著)からの引用〉、Wikipedia、『天下人に学ぶ逆転勝利の戦略』(小和田哲男著・梧桐書院)




▲手取川そばの「呉竹(くれたけ)文庫」の駐車場横にある石碑


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