佐々成政剃髪阯
豊臣秀吉に破れ、
服従の意志を示した場所
呉羽山にある富山市民俗民芸村の考古資料館の向かいに、佐々成政剃髪阯という石碑がひっそりと立っている。
案内板によると、天正13年(1585年)、富山城主・佐々成政が豊臣秀吉の先鋒・前田利家の軍に敗れた時、成政がこの地で髪を剃り僧衣を着けて、服従の意志を示したとされる。
なお、当地の字名が道心山(仏道を信仰する)と呼ばれるのは、この歴史に由来するらしい。
その後、成政は肥後(熊本県)に国替えされ、天正16年(1588年)、秀吉の逆鱗に触れ、摂津(兵庫県)尼崎の法園寺で切腹を命じられた。
佐々成政に関しては、早百合姫伝説、厳冬の立山を越えて浜松の徳川家康に再挙を促した「さらさら越え」の実行、常願寺川の氾濫から富山平野を守る霞堤の建設など、様々なエピソードが残っている。