富山城址公園を魅力ある憩いの場に!

「川と街づくり国際フォーラム」開催15周年記念
グッドラックとやま2018街づくりキャンペーン

 

「グッドラックとやま」1987年1月号掲載座談会より

県都富山市の中心部に広がる水と緑の安らぎ空間・富山城址公園。これまで開催されてきた弊誌主催の座談会では城址公園のあるべき姿について意見が交わされ少しずつ整備が進められてきた。その30年の歩みを振り返ってみたい。

 

中村 グッドラックでは、数年前より様々なテーマで座談会を開いてきていますが、今日は、〝県都・富山市〟の城址公園はどうあるべきか、ご意見を伺ってまいりたいと思います。

堀江 富山ライオンズクラブ創立30周年を記念し、城址公園内に茶室を寄贈させていただき、富山名産の鱒寿司や月世界の販売など、一服できるようになっておりますので、少しはお役に立てるかと思っています。それで管理していただく市へのお願いですが、県外からの観光客のために、この茶室の場所を示す標示板を建てていただきたいのです。

中村 民間サイドで、城址公園の魅力づくりを考えて下さってありがとうございます。

新田 私は最近、城址公園へは行ったことがなかったので、先ほどちょっと一回りしてきました。公園というより、広場という印象のほうが強いですね。もっとも、利用されるのが労働組合の集まりであるとか、それはそれなりに利用価値はあると思うのですが。ところで、城址公園の所有は県と市のどちらですか?

山内 土地は県のものですが、管理は市がやっております。

 

城址公園の利用目的を明確に

新田 やはり、城址公園の使用目的をはっきりさせないといけませんね。青年会議所でも10周年記念の時に時計塔を寄贈したのですが、その管理維持費は誰が持つのだ、ということでもめたことがあります。公園を造っても、市が維持できないならこのまま広場にしておくしかありませんし。富山市発展のために、中心部に立派な公園の一つぐらいなければと考えるかどうかですね。

 

行きたくなる公園に

緒方 富山城址公園内には図書館、産業奨励館、富山市郷土博物館、富山美術館などがあり、とかく暗いイメージがあったわけですが、これからはもっと、『行ってみたくなる公園』にしたいですね。外国などへ行かれた方はよくご存知だと思いますが、例えばロンドンのハイドパークなどのように、ゆっくり1時間ほどお喋りをしたり、ご夫人が編み物をしたりできる公園になればいいですね。また、花と緑、豊富な水の県都らしく、城址公園ばかりではなく、駅前通りや各家の前に、それぞれ知恵を出し合い、小さな噴水や小川をつくり、鯉を放したりして、特色づけていければいいですね。それができれば、観光のご案内も胸張ってできるのですが。

中村 造園家としてはどのような公園が理想だと思いますか。

 

日本的で親水公園的な庭園に

久郷 組織学的に公園を捉えてみますと、毎日使う公園、1週間に1回使う公園、月に1回、半年に1回、1年に1回使う公園という風に分類することができます。その各システムのどのパターンに一致させるかによって今後の方向が決まると思います。戦時中などは防災公園といいまして、災害時に公園に集まるということでオープンスペースとして機能していたわけです。そして、終戦後初めて、この公園が整備されるということで、東京の公園緑地協会で設計された計画について、私に意見が求められました。私は富山の人間として、東京や大阪など、どこにでもあるような公園計画には大変不満を持っていたわけですが、どっちつかずという形の公園になってしまいました。なにしろ、現在はあまりにも色々な機能が内在しており、これを単純に整備して、一番好まれる静かな日本的な庭園、親水公園的な性格を持たせたものに改良してはと思います。

中村 グッドラックで市民からアンケートをとると、都心の公園ということで、やはり〝水と緑の潤いのある公園〟を望んでおられますね。

森田 兼六園にしても天下の名園にしても、殿様が造られたわけですが、富山を愛する気持ちがあれば、今からでも遅くないと思うのです。山や水に恵まれているわけですから、日本庭園的なものを造ればいいと思いますね。工場を持ってくるのも産業ですが、隣の金沢のように観光も産業として考え、若い人たちにも魅力を感じてもらえる工夫がほしいですね。

 

編み物やおしゃべりのできる公園が理想

吉田 私も10年程前にフランスへ行ってきたのですが、季節は11月の寒い時でした。朝早く起きまして、近くのチュールリ公園へ行きましたら、地下鉄の停留所がそばにあって、通勤客がズラーッと並んで落ち葉で敷き詰めた道を歩いてくるんですよ。〝第三の男〟の一番最後のシーンを見ているような感動がありましたね。それに比べ、富山の城址公園や松川べりを歩いてみると、本当に広場を歩いているだけ、という味気なさを感じます。やはりもっと樹木を多くして、木陰を作ってほしいですね。また、泉水からは小川が流れ、せせらぎの音が聞こえる。そんな雰囲気の中でベンチに腰掛け、編み物やおしゃべりができるような公園になればいいなあと考えているわけです。また、会津若松へ行った折に薬草園も見てきたのですが、富山のような花壇ではなくて、薬草の広場の中に入って観れるようになっていて、一つ一つの種類の効用の説明書きが付けてあるのですね。やはり、薬の富山の象徴として、薬草園の充実が必要だと思います。

中村 年に二度ほど植木市が開かれていますが、私はそれを見に行くとホッとするんですね。木と緑がいっぱいですから。

 

2015年、水と緑の潤い空間として整備された富山城址公園内の日本庭園

水と緑は心のふるさと

長谷川 僕も最近、城址公園がなんとかならないものか、と個人的に思っていたわけですが、僕自身のイメージとして、〝深い緑と豊かな水〟があります。水と緑は人間の心のふるさとと言えるくらいに、都市機能の重要な位置を占めているわけです。極端に言えば、「水と緑がないと都市として生きていけない」とさえ言えると思います。そこで、城址公園ですが、今あまりにも広場的感覚で、広く明るすぎると思うのです。もっとポケットパーク的で、家族や小グループで活動できるような公園が必要なわけです。人間は身を隠す、どこかに身を寄せれるような場所でホッとするわけですから、もっと起伏のある森をつくる必要がありますね。松川べりの桜でも、戦後40年であれだけになったわけですから、50年計画ぐらいの気持ちでやればいいと思いますね。松川の水にしても、手や足で触れることができるような素朴な自然がほしいですね。

 

四季折々の風情が楽しめる日本庭園を散策する観光客も多い

 

山内 現段階では、城址公園を大改造しようという計画はありませんが、都市の中で水や緑を重視していこうと思っています。その中で、駅前から中央商店街に向かっての城址大通りをパリのシャンゼリゼ通りのように、ケヤキ並木の立派な都市空間にしたい。また、松川におきましても親水性を考えた計画がありますので、今後も現在より多少魅力アップするようにやっていきたいと思っています。しかし、都市公園法という法律で縛られておりますので、いわゆる観光というところまでのレベルアップは難しい面があるということでご了解いただきたいのです。

中村 貴重なご意見、どうもありがとうございました。

 

富山城址公園内の日本庭園から見た富山市佐藤記念美術館

 

松川周辺の動き 1987▷2018

1987年(昭和62年)
富山観光遊覧船株式会社設立

1989年(平成元年)
グッドラックとやま2月号にて、「荒城の月」のモデルは富山城説を発表
城址公園の松川沿いに「親水のにわ」完成

1991年(平成3年)
グッドラックの呼びかけにより、「平成の日本庭園・荒城の月園」造成を目指し、「富山城址公園整備懇話会」発足

1998年(平成10年)
富山市が南側のお堀周辺と、中央部西側の芝生広場の再整備に着手

2005年(平成17年)
富山市郷土博物館をリニューアル

2007年(平成19年)
赤祖父家に移されていた千歳御殿の門(千歳御門/埋門)を、園内へ移築

2008年(平成20年)
千歳御門脇(南側)に石垣が完成

2015年(平成27年)
園内に日本庭園が完成
富山市立図書館がTOYAMAキラリ内に移転のため、閉館

2016年(平成28年)
茶室等を備えた施設「富山市本丸亭」が園内にオープン

2017年(平成29年)
城址公園北側の松川周辺エリアの再整備に向け、富山市の基本計画検討委員会が初会合

2018年(平成30年)
3月21日、富山市まちなか観光案内所がオープン予定

 

おすすめ