富山停車場〈初代富山駅〉跡(富山市)

明治32年3月に開業

 富山駅は、最初はもっと西側にあったのをご存知ですか?場所は、田刈屋地下道の東側から富山地方気象台にかけて。なぜそこに作られたのかというと、神通川の馳越線工事が計画されていたためと、各地で駅の誘致運動が行われていたため。
 田刈屋に仮停車場として富山駅ができたのは、明治32(1899)年のこと。当時は、まだ神通川は東側に大きく蛇行して流れていました(現在の、松川、いたち川、富岩運河環水公園が名残り)。たびたび水害が発生していたことから、南北にまっすぐの水路(馳越線)を作る計画がありました。明治34年にその工事が着工。36年に幅2mの馳越線が完成しました。しかし、馳越線は、本流の水かさが1丈(約3m)以上に増水した時のみ流れる仕組みになっていました。(愛宕・牛島村および対岸の桜谷村を貫通していた農業用水を保護するため)
 路線案は、堀川村案、奥田村案、愛宕・牛島村案があり、当初奥田村案が最有力でしたが、富山実業協会は、愛宕・牛島村案は交通上便利であり、ここに停車場ができれば農業用水を撤去せざるをえなくなり、1丈以下の水量でも馳越線に水を流すことができ、水害をより完全に予防することができるとして、この案を推していました。議論の末、この案が採用され、明治41年に鉄橋が完成、同年、今の位置に新駅舎も完成。大正2年には直江津まで開通しました。

参考/富山市郷土博物館「博物館だより」第二十七号


▲田刈屋地下道北側測道わきの小公園にある記念碑


▲田刈屋地下道。平成12年8月29日開通。


▲桜谷小学校が近くにある


▲富山北大橋方向をのぞむ


▲呉羽山北側をのぞむ


▲富山地方気象台


▲鉄橋


▲富山北大橋と神通川

 


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