国指定遺跡 串田新遺跡(射水市)
縄文中期の示標土器が発掘
富山市茶屋町から高岡市戸出地区を経て小矢部市芹川を結ぶ県道9号富山戸出小矢部線。1609年に高岡のまちができるまで、中世以前から北陸道の本街道として利用された。また、江戸時代、幕府が将軍の代が替わるたびに派遣した目付役「巡見上使」が通った「上使街道」の一つである。この沿線では、延喜式内社・櫛田神社が有名だが、そのすぐ近くの高台にあるのが、今回ご紹介する「串田新遺跡」である。9号線を通った時に看板を見られた方も多いのではないだろうか。
射水市串田新の通称「大沢山」と呼ばれる独立丘陵の上にあり、標高は約45m〜46m。昭和24年に発掘が行われ、縄文中期の土器が初めて出土した。この遺跡から発見された文様と器型は全国的に珍しく、「串田新式土器」と名付けられた。これは、北陸の縄文時代中期後の編年的示標となっている。遺跡の北東部墳墓群と、南西部の住居跡は古墳時代初期の良好な遺跡とされる。昭和51年に国指定遺跡となり、昭和53年から旧大門町が5ヶ年計画で環境整備を行った。
面積は3万平方メートル。芝生が広がり、高岡市方向をのぞむと開放的な気分になれる。縄文時代の住居址やお墓(墳墓)の他、ところどころに縄文土器形の腰掛けや水呑みがあり、はるか昔にタイムスリップしたよう。になるかどうかは別として、こんなところにこんな場所があるんだと驚く方が多いのでは?
▲1号墳墓越しに広がる高岡市方向の眺望。
▲芝生広場が広々として気持ちがよい。右手に上記の眺めが広がり、左斜め後方には立山連峰が見える。
▲縄文時代の住居を模したもの。
▲立派な石柱が目を引く。縄文土器形水呑み。ユニークだ。
▲県道9号線側から見た遺跡。
▲縄文時代の住居址
▲土器形のベンチ